寒-冬講日記(32)

寒くなってくると、あの頃の生活を思い出します。京都大学の横に住んでいた頃です。

寒中勉強していますと、体は元気なのですが、脳が眠りはじめます。脳にもエネルギーが必要です。

そこで…、元田中の駅から、叡電に乗ります。一乗寺で降ります。

いつもの店でビールを飲み始めます。アテはキムチです。

日本酒を飲み始めます。やはり、アテはキムチです。

焼酎を飲み始めます。しつこく、アテはキムチです。

水割りを飲み始めるころには、アテが何だか分からなくなっています。

走れば終電に間に合うのですが、何故か「始発でいいや」と思ってしまいます。

いつもの店にいつもいた輩どもは、いったいどこに行ってしまったのだろうかとか、そもそも何故いつもいたのだろうかとか、疑問が解けないまま、いつのまにかおじさんになってしまいました。

勉強と長くつき合うことも、本当によく似た趣でして、纒向や佐紀から引っ越して来た土器に囲まれ、『邪馬台国と初期ヤマト王権』など綴っておりますと、時代や興味関心は違えど、何故か変わらないものに感じ入ってしまいます。

ちなみに『邪馬台国と初期ヤマト王権』は…、チョコマカ書き留めているだけでして、モノになる保証はございません。

急がず焦らず、見守ってください。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

脱-冬講日記(31)

勉強する人生を選んだ人にとって、勉強は日常そのものです。あたりまえの毎日そのものです。何の不思議もありません。

人生は勉強だけに依るわけではありません。むしろ勉強し続ける人たちのほうが、少数派でしょうね。勉強することがお仕事でない限り、多くの人々がいつか学ぶことをやめてしまいます。

このあまりにまっとうな構図から考えますと、「勉強せえ!」とドヤされながらも、隠れてコソコソと勉強をサボる子供たち…そんな茶飯事も、理論上全くなくなるはずです。

将来ある子供たちにとっては、およそモノにならない勉強にしがみつく必要もないですし、親御さんにとっては、しがみつかせる必要もないからです。

ではなぜ、いつの時代にも茶飯事が起きてしまうのか?

答えは至極単純でして、「勉強ができるようになったらいいな」程度のことは、子供たちも親御さんんも想っているからです。

茶飯事の原因は、この想いの中途半端なることにあります。「できたらいいな」程度の夢想は、艱難辛苦を乗り越えられません。

苦しくなったら子供は逃げる、親は叱る、この救い難い連鎖が、いつの時代にもあるのですね。生老病死の輪廻にも似ているでしょう。

解脱(げだつ)に必要なものはただ一つ。「勉強ができねばならぬ!」と、確信することです。それだけです。

解脱したものが、覚醒したる勉強人になること、これまた皆さん広く諒解されますでしょう。覚醒したものはサボりませんし、非難されることもありません。

中途半端なまま居続けることは、人生の無駄遣いです。悟りましょう!

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脱-冬講日記(31)

勉強する人生を選んだ人にとって、勉強は日常そのものです。あたりまえの毎日そのものです。何の不思議もありません。

人生は勉強だけに依るわけではありません。むしろ勉強し続ける人たちのほうが、少数派でしょうね。勉強することがお仕事でない限り、多くの人々がいつか学ぶことをやめてしまいます。

このあまりにまっとうな構図から考えますと、「勉強せえ!」とドヤされながらも、隠れてコソコソと勉強をサボる子供たち…そんな茶飯事も、理論上全くなくなるはずです。

将来ある子供たちにとっては、およそモノにならない勉強にしがみつく必要もないですし、親御さんにとっては、しがみつかせる必要もないからです。

ではなぜ、いつの時代にも茶飯事が起きてしまうのか?

答えは至極単純でして、「勉強ができるようになったらいいな」程度のことは、子供たちも親御さんんも想っているからです。

茶飯事の原因は、この想いの中途半端なることにあります。「できたらいいな」程度の夢想は、艱難辛苦を乗り越えられません。

苦しくなったら子供は逃げる、親は叱る、この救い難い連鎖が、いつの時代にもあるのですね。生老病死の輪廻にも似ているでしょう。

解脱(げだつ)に必要なものはただ一つ。「勉強ができねばならぬ!」と、確信することです。それだけです。

解脱したものが、覚醒したる勉強人になること、これまた皆さん広く諒解されますでしょう。覚醒したものはサボりませんし、非難されることもありません。

中途半端なまま居続けることは、人生の無駄遣いです。悟りましょう!

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曇-冬講日記(30)

晴れの日もあれば、曇りの日もあります。人生も勉強も、同じです。

雨に降られないですむかな…と思って歩き出しても、山中で猛吹雪に遭うことがあります。人生も勉強も、同じです。

雲行きが怪しい、雨が降るかもしれない…と思って歩き出したら、数十分後にはカンカン照りなどということもありました。人生も勉強も、同じです。

「中途半端な曇りは嫌い」とおっしゃるかたも多いでしょうが、逆に私は「晴れるかもしれない曇り」が好きです。

「いかにも雨が降り出しそうな曇りが嫌い」と、これも頻繁にお聞きしますが、やはり私は「降らずに済むかもしれない曇り」が好きであります。

天気も人生も、塞翁が馬。勉強も、また然り。

こんなに悠然と構えられるなんて、私も歳をとったのかもしれません(笑)。

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曇-冬講日記(30)

晴れの日もあれば、曇りの日もあります。人生も勉強も、同じです。

雨に降られないですむかな…と思って歩き出しても、山中で猛吹雪に遭うことがあります。人生も勉強も、同じです。

雲行きが怪しい、雨が降るかもしれない…と思って歩き出したら、数十分後にはカンカン照りなどということもありました。人生も勉強も、同じです。

「中途半端な曇りは嫌い」とおっしゃるかたも多いでしょうが、逆に私は「晴れるかもしれない曇り」が好きです。

「いかにも雨が降り出しそうな曇りが嫌い」と、これも頻繁にお聞きしますが、やはり私は「降らずに済むかもしれない曇り」が好きであります。

天気も人生も、塞翁が馬。勉強も、また然り。

こんなに悠然と構えられるなんて、私も歳をとったのかもしれません(笑)。

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難-冬講日記(29)

難儀と直面すること、生きている限り不可避です。

注意深く避けようとするのですが、こちらが避けていても、向こうからぶつかりにいらっしゃるものです。

勉強も同じです。苦労することなくできるようになりたいと、誰もが願うものですが、想いのままになるかたは稀です。

難儀に立ち向う者、難儀と闘う者、難儀とつきあう者…、対応も人それぞれです。

はからずも降って湧いてくるものならば、うまくつき合いたいと思うのも、きっと私だけではありますまい。

いささか逆説的ですが、難儀無き道行きはいかにもノッペラボウで、張り合いに欠けるように感じられます。

適度にハードルがあって、少しずつ乗り越えられるならば、その生きざまは喜びに満ちるものとなるでしょう。

ぱっくりと口を開けた渓谷に真っ逆さま、そんな大難が降りかからないことを祈っています。

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難-冬講日記(29)

難儀と直面すること、生きている限り不可避です。

注意深く避けようとするのですが、こちらが避けていても、向こうからぶつかりにいらっしゃるものです。

勉強も同じです。苦労することなくできるようになりたいと、誰もが願うものですが、想いのままになるかたは稀です。

難儀に立ち向う者、難儀と闘う者、難儀とつきあう者…、対応も人それぞれです。

はからずも降って湧いてくるものならば、うまくつき合いたいと思うのも、きっと私だけではありますまい。

いささか逆説的ですが、難儀無き道行きはいかにもノッペラボウで、張り合いに欠けるように感じられます。

適度にハードルがあって、少しずつ乗り越えられるならば、その生きざまは喜びに満ちるものとなるでしょう。

ぱっくりと口を開けた渓谷に真っ逆さま、そんな大難が降りかからないことを祈っています。

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人-冬講日記(28)

「「人」という字は、二人が支えあって立っているんですね。どちらがいなくても、倒れてしまう」。

昨年の総選挙の折、東京の小選挙区から出馬された候補者が、街頭演説で語っておられました。

聞き覚えのある言葉ではありましたが、今さらながら、良い言葉だと思いました。

何でも一人でできていた若い頃には、思いもよらないことでした。歳をとると、身にしみてきます。

勉強も然り。己が幸せになるためにするものですが、立身出世の暁には、お互いさまに支えあう、その礎にしたいものです。

あたりまえのように新年を迎え、あたりまえに見過ごしそうなことなのかもしれません。

今年は少しだけ、こだわってみました。

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人-冬講日記(28)

「「人」という字は、二人が支えあって立っているんですね。どちらがいなくても、倒れてしまう」。

昨年の総選挙の折、東京の小選挙区から出馬された候補者が、街頭演説で語っておられました。

聞き覚えのある言葉ではありましたが、今さらながら、良い言葉だと思いました。

何でも一人でできていた若い頃には、思いもよらないことでした。歳をとると、身にしみてきます。

勉強も然り。己が幸せになるためにするものですが、立身出世の暁には、お互いさまに支えあう、その礎にしたいものです。

あたりまえのように新年を迎え、あたりまえに見過ごしそうなことなのかもしれません。

今年は少しだけ、こだわってみました。

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謝-冬講日記(27)

今年も一年が終ろうとしております。皆様のおかげです。ありがとうございます。

あたりまえのように、目前にあるものに対して、敢えて感謝することがない私たちですが、ある日突然、目の前がまっさらになってしまったら、きっととてつもない喪失感に苛まれそうな気がします。

そんなあれこれを掘り起こして、感謝する年末にしたいです。

日々少しずつ「まっとう」であることが難しい世の中になっていきます。奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)が、何故だか幅を利かせてきます。

奇妙に奇妙で応酬していては子供の喧嘩です。非生産性の最たるものです。

あたりまえに「まっとう」であることは、そのままズバリ、「まっとう」な人間関係に他なりません。

「まっとう」な教育は、こうして準備されるのでしょう。

もうすぐ始まる新しい年が、「まっとう」にあふれるものでありますように。

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