夏の終り

奈良・高の原教室の飯尾です。
朝の目覚ましの蝉の声よりも、夜の入眠誘導のコオロギの声の方が目立つ様になりました。

教室内でも、先週までとは変わって、制服姿のまま来る生徒を見かけるようになりました。

その姿を見かけると、夏期講習も終盤になったことを感じます。
教室内だけでは季節感が無い様に思えて、実はそれが感じられるものの一つです。(^^;

この頃になると毎年、朝から夜遅くまでの講習は、早く終わって欲しいと思う反面、
もう少し続けていたいという、ちょっとしたもの悲しさを感じてしまいますね。
終了まで残り1週間を切りましたが、最後まで全うしたいと思います。

誉-夏講日記(その36)

夏講を乗り切ったら、自分自身にちょっとご褒美をあげようと思います。

国道24号を上がって山城大橋、右折して宇治川ライン、一気に抜けて瀬田の唐橋、渡って左折すると琵琶湖の湖岸道路、近江八幡までエアコンを切って窓フルオープン、長命寺方面に少しウネウネ、水ヶ浜シャーレに到着です。

C・W・ニコルが「すばらしい絶景!メシもうまい!」と評した琵琶湖が、眼前に広がります。

腹ごしらえが終ったら、湖岸道路をさらに北上。近江牛の大中町(大中遺跡でもあるのですが…)を東に突っ切り、安土城考古博物館へ。なんとイスパニア帽をかぶった信長を模しているとのことです。

このあと、安土城の旧天守に登っても良し、安土瓢箪山古墳という巨大前方後円墳に入り込んでも良し、かつて南近江支配の拠点であった観音寺城跡を眺めるも良し、楽しい一日が待っております。

今年も秋晴れの近江路を、真っ白なフェアレディZが疾走する日を夢見て、あと六日となった夏講を頑張ります。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

誉-夏講日記(その36)

夏講を乗り切ったら、自分自身にちょっとご褒美をあげようと思います。

国道24号を上がって山城大橋、右折して宇治川ライン、一気に抜けて瀬田の唐橋、渡って左折すると琵琶湖の湖岸道路、近江八幡までエアコンを切って窓フルオープン、長命寺方面に少しウネウネ、水ヶ浜シャーレに到着です。

C・W・ニコルが「すばらしい絶景!メシもうまい!」と評した琵琶湖が、眼前に広がります。

腹ごしらえが終ったら、湖岸道路をさらに北上。近江牛の大中町(大中遺跡でもあるのですが…)を東に突っ切り、安土城考古博物館へ。なんとイスパニア帽をかぶった信長を模しているとのことです。

このあと、安土城の旧天守に登っても良し、安土瓢箪山古墳という巨大前方後円墳に入り込んでも良し、かつて南近江支配の拠点であった観音寺城跡を眺めるも良し、楽しい一日が待っております。

今年も秋晴れの近江路を、真っ白なフェアレディZが疾走する日を夢見て、あと六日となった夏講を頑張ります。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

惑-夏講日記(その35)

現職に就いてから、圧倒的に「不思議だ!」と言われること。それは他ならぬ勉強に関することです。ありていに言いますと…

「なんだかすごいテキストがあるわけではない。とんでもないカリキュラムがあるわけでもない。多少の工夫があるにしても、教材は既製品の枠を出ない。解説は丁寧だが、わからないところだけしかしない。希望がなければ、長時間授業するわけでもない。それどころか、やる気が無ければ、即時放り出される。ただ黙々とこなしていく。冗談は多いが、勉強に混在しない。要するに、一生懸命するが、アホしながらではない。煎じ詰めれば、何もない。」

「…なのに何故、勉強ができるようになるのですか?」

答えは簡単です。勉強ができないのは、できるまでやってないから、できないのです。できるまでやれば、できるのは当然です。勉強の派手とか、地味とかには、全く無関係です。

逆に、私が不思議だと申し上げたいことは…

「勉強とは何か特別なことであって、すごいテキストとカリキュラムがあって、もちろんオリジナルで、痒いところに手が届く解説があって、あらゆる設問がカバーされており、長時間拘束され、それが当たり前で、やる気があろうがなかろうが、この魔法のシステムにかかれば、誰でも勉強ができるようになる。眉間にしわを寄せて、ねじり鉢巻きの勉強が、ただ延々と続くだけで、そう言いながらも、ボ~っと他所事を考えている大多数の生徒にとって、ただ漫然たる時間が過ぎ去っていく。」

「…こんなもので勉強ができるようになると、何故信じてしまったのですか?」

世の中には、なんと不思議のあふれていることでしょうか(笑)。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

惑-夏講日記(その35)

現職に就いてから、圧倒的に「不思議だ!」と言われること。それは他ならぬ勉強に関することです。ありていに言いますと…

「なんだかすごいテキストがあるわけではない。とんでもないカリキュラムがあるわけでもない。多少の工夫があるにしても、教材は既製品の枠を出ない。解説は丁寧だが、わからないところだけしかしない。希望がなければ、長時間授業するわけでもない。それどころか、やる気が無ければ、即時放り出される。ただ黙々とこなしていく。冗談は多いが、勉強に混在しない。要するに、一生懸命するが、アホしながらではない。煎じ詰めれば、何もない。」

「…なのに何故、勉強ができるようになるのですか?」

答えは簡単です。勉強ができないのは、できるまでやってないから、できないのです。できるまでやれば、できるのは当然です。勉強の派手とか、地味とかには、全く無関係です。

逆に、私が不思議だと申し上げたいことは…

「勉強とは何か特別なことであって、すごいテキストとカリキュラムがあって、もちろんオリジナルで、痒いところに手が届く解説があって、あらゆる設問がカバーされており、長時間拘束され、それが当たり前で、やる気があろうがなかろうが、この魔法のシステムにかかれば、誰でも勉強ができるようになる。眉間にしわを寄せて、ねじり鉢巻きの勉強が、ただ延々と続くだけで、そう言いながらも、ボ~っと他所事を考えている大多数の生徒にとって、ただ漫然たる時間が過ぎ去っていく。」

「…こんなもので勉強ができるようになると、何故信じてしまったのですか?」

世の中には、なんと不思議のあふれていることでしょうか(笑)。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

神-夏講日記(その34)

十年ほど前のことでしょうか、愛車に不思議な偶然が続きました。

出張帰りが遅くなった早朝の国道24号、ウワナベ古墳付近を南進中、ドカン!という大きな音と、対向車線から中央分離帯を乗り越えて目前に転がるパッカー車、全身血だらけの男が這い出してきました。

どうやら中央分離帯の切れ目からUターンしようとしていた収集車に、トラックが追突したようでした。平和な月曜の朝が、一瞬にして地獄絵図になった瞬間です。

この十日後くらい、残業明け午前4時頃の阪奈道路を東進中、秋篠川を越えたあたり、ハザードをつけて斜めに停まった車と、その横に無造作に転がった物体。

「何事?」と車を停めて見に行きますと、呆然と立ち尽くす若者(かなりアルコール臭あり)、ピクリとも動かない初老の男性、フロントガラスがメチャメチャの車、なるほど交通事故現場でした。おそらく飲酒+死亡事故です。

若者と話しても意味不明でしたので、警察と救急を呼んで現場を後にしましたが、まるで絵にかいたような酷い状況でした。

このほかにも、高円山から飛び出してきた鹿に、正面から突進されたり、まちがって獣道に迷い込んで泣きそうになったりと、携帯電話の発信履歴が、警察と消防とJAFだらけになっていき、なんぼ鈍感な私でも、「こりゃ、だめだ!」と気づいた次第です。

それから今日に至るまで、運転席に護符をぶら下げるようにしました。なんとも霊験あらたかなお札のようで、なるほど住民票やら車検証やら、ありったけコピーして持って行き、二時間余りも祈祷していただくだけのことはあると感じます。

私は「怪力乱神を語らず」、およそ神仏を信じるものではありませんが、人智を超えた存在を、あたまから否定するものでもありません。それはきっと、「神」と呼んで差支えないものなのでしょうから。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

神-夏講日記(その34)

十年ほど前のことでしょうか、愛車に不思議な偶然が続きました。

出張帰りが遅くなった早朝の国道24号、ウワナベ古墳付近を南進中、ドカン!という大きな音と、対向車線から中央分離帯を乗り越えて目前に転がるパッカー車、全身血だらけの男が這い出してきました。

どうやら中央分離帯の切れ目からUターンしようとしていた収集車に、トラックが追突したようでした。平和な月曜の朝が、一瞬にして地獄絵図になった瞬間です。

この十日後くらい、残業明け午前4時頃の阪奈道路を東進中、秋篠川を越えたあたり、ハザードをつけて斜めに停まった車と、その横に無造作に転がった物体。

「何事?」と車を停めて見に行きますと、呆然と立ち尽くす若者(かなりアルコール臭あり)、ピクリとも動かない初老の男性、フロントガラスがメチャメチャの車、なるほど交通事故現場でした。おそらく飲酒+死亡事故です。

若者と話しても意味不明でしたので、警察と救急を呼んで現場を後にしましたが、まるで絵にかいたような酷い状況でした。

このほかにも、高円山から飛び出してきた鹿に、正面から突進されたり、まちがって獣道に迷い込んで泣きそうになったりと、携帯電話の発信履歴が、警察と消防とJAFだらけになっていき、なんぼ鈍感な私でも、「こりゃ、だめだ!」と気づいた次第です。

それから今日に至るまで、運転席に護符をぶら下げるようにしました。なんとも霊験あらたかなお札のようで、なるほど住民票やら車検証やら、ありったけコピーして持って行き、二時間余りも祈祷していただくだけのことはあると感じます。

私は「怪力乱神を語らず」、およそ神仏を信じるものではありませんが、人智を超えた存在を、あたまから否定するものでもありません。それはきっと、「神」と呼んで差支えないものなのでしょうから。

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学園前教室・杉浦

童-夏講日記(その33)

これも前職のこと。某寺大住職の娘さんを教えていました。

この娘さん、娘さん以外の誰にも見えない子供の姿が「見える」のだそうで、下階の一番端の大教室で授業をしていますと、必ず「誰か」と話していました。

私にはどうしても、独り言にしか聞こえませんでしたので、授業が終わってからこっそりと、「何だったの?」と聞いてみたものです。

すると、今日は他愛もない話だったとか、昨日は「その子」の身の上話が聞けたなどと、私に教えてくれました。

まんざら作り話とも思えないリアリティに、私もずいぶん驚いたものです。

中学入試も終わり、進学先も決まり、娘さんが旅立つ日が来ました。ささやかな祝勝会を催したのですが、娘さんが何やら浮かぬ顔。「最近、会えなくなってきた」のだそうです。

「静かだから悪くない」けれど、「なんだか寂しい」とも。

時は移ろい数年後、某寺を訪れた私は、娘さんと再会しました。娘さんは六年一貫校の四年生(高校一年生相当)になっていました。

あの頃のことを聞いてみますと、「見えなくなってから、なんだか思い出せなくなった」と。

不思議なことだったねと、談笑したものです。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

童-夏講日記(その33)

これも前職のこと。某寺大住職の娘さんを教えていました。

この娘さん、娘さん以外の誰にも見えない子供の姿が「見える」のだそうで、下階の一番端の大教室で授業をしていますと、必ず「誰か」と話していました。

私にはどうしても、独り言にしか聞こえませんでしたので、授業が終わってからこっそりと、「何だったの?」と聞いてみたものです。

すると、今日は他愛もない話だったとか、昨日は「その子」の身の上話が聞けたなどと、私に教えてくれました。

まんざら作り話とも思えないリアリティに、私もずいぶん驚いたものです。

中学入試も終わり、進学先も決まり、娘さんが旅立つ日が来ました。ささやかな祝勝会を催したのですが、娘さんが何やら浮かぬ顔。「最近、会えなくなってきた」のだそうです。

「静かだから悪くない」けれど、「なんだか寂しい」とも。

時は移ろい数年後、某寺を訪れた私は、娘さんと再会しました。娘さんは六年一貫校の四年生(高校一年生相当)になっていました。

あの頃のことを聞いてみますと、「見えなくなってから、なんだか思い出せなくなった」と。

不思議なことだったねと、談笑したものです。

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学園前教室・杉浦

謎-夏講日記(その32)

不思議な経験を、たくさんしてきました。この業界内、前職でのことです。

昔もやはり、最後まで授業していることが多かったものですから、私が教室の施錠係でした。今とは比べ物にならないくらい、大きな塾の大きな教室でしたので、開錠・施錠だけでも大仕事でした。

上階の見回り、施錠、階段封鎖、エレベーターブロックでひとセット、同じことを下階でも行って完了…のハズでした。

ひととおり見回ってエレベーターに戻ると、あら不思議、ブロックしたはずの上階にエレベーターが止まっております。

「きっと、さらに下階のカラオケスナックの酔客が、エレベーターブロックを解除したに違いない。困ったものだ。」

急いで上階へ、念のため、フロアまるごと再施錠のつもりでした。

ところが、上階に着いたエレベーターの扉が開いた途端、目を疑いました。そこには、旧帝国陸軍の制服姿の男が、敬礼していたのです。

本来でしたら、明らかな不審者、緊急逮捕して警察に突き出すべきなのでしょうが、悲しいかな、生粋の業界人たる私は、典型的な職業病でして、不審物に対して大声で叫んでおりました。

「お疲れ様で~すぅ!。」

男はほんの少しだけ、はにかんだ笑いを浮かべ、ほんの数秒でドロロンパでした。

この一回コッキリでしたら、悪質ないたずらで済んだでしょうが(それでもけっこう迷惑ですが…)、何度もありますと、さすがに鈍感な私でも「何か変!」と思ってしまいます。

案の定、このあと本件は、およそ不特定多数の皆さんがお読みいただいているこのブログには、書きこめないような推移をたどりました。

「どうなったのだ?気になる!」という皆さん、教室では、細大漏らさず後日談を語っておりますから、ぜひお越しになってみてください。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦