富-春講日記(14)

学歴は掃いて捨てるほどある…といった友人がたくさんいます。

高学歴に見合った仕事をなさっておいでです。一部上場企業の幹部クラスや、バリバリのキャリア公務員、起業した皆さまもガンガン儲けておられます。

小生のごときが、親しくお話しさせていただけるなど、おこがましい限りと思うことがあります。

皆さん、こんなことをおっしゃいます。

「仕事だけしてきた人生だった。家庭を顧みたことは無かった。」

「いつ引退してもいい。平均寿命の二倍生きても、おそらく経済的に困窮することはない。」

「忙しかった。自分の時間は、ほとんど無かった。」

「資産総額が、全国民の上位1%に入っている。」

子供たちは、こんなことを聞くと、目がギラギラに輝きます。輝きすぎて、小生には背筋の凍るような、最後の一言を聞き逃します。

「それでもなぁ、杉浦さん!俺はなぁ、仕事をやってて良かったと思ったことが一度もない。楽しいと思ったことすらない。」

衝撃的です。小生には絶対に耐えられません。

しかしながら、子供たちは、この一言を聞いても、それでも富める人生を選ぶかもしれません。

おじさんたちはほんの少し、現代という時代に、ため息をついてしまいます。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

貧-春講日記(13)

「撰」ぶと「撰」ばざるとに拘らず、「貧」はつらいものです。「貧」とは、ずばり「貧乏」です。

小生に限らずとも、おおよそ好き勝手に生きている人間は貧乏です。

貧乏は憐れみを誘いますが、当事者たる貧乏人は、全く意に介していないことが多いです。

「何も盗るものがないから、泥棒も来ない」てなわけです。

子供たちは、しばしばこんな誤解をしています。

「好きなことを好きなだけやって、裕福になりたいです。」

はい、これはまちがいです。ごく一部の例外を除いて、裕福は我慢の裏返しです。辛くてもがんばり、眠くても気合一発吹き飛ばすから、その対価を得られるのです。

子供たちは、反論します。

「先生の考え方は、古いです。」

はい、これもまちがいです。経済状況が変わり、政治システムが変わり、社会構造が変わって初めて、文化情勢が変わります。人々の考え方が変わるのは、最後の最後です。

現代なる時代は、ちょうど日露戦後あたりから始まったと、小生考えております。まだ百年しか経っていません。人々の意識が変わろうはずもありません。

さりながら若い世代が、小生どものような老人たちには、思いもよらなかったような発想をすることに、興味をそそられます。

今週は、「世代間イデオロギー闘争」に興じてみたいと思います。

おっと、「イデ闘」とか言い出しますと、立派に旧世代ですね(笑)。気をつけます(笑)。

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貧-春講日記(13)

「撰」ぶと「撰」ばざるとに拘らず、「貧」はつらいものです。「貧」とは、ずばり「貧乏」です。

小生に限らずとも、おおよそ好き勝手に生きている人間は貧乏です。

貧乏は憐れみを誘いますが、当事者たる貧乏人は、全く意に介していないことが多いです。

「何も盗るものがないから、泥棒も来ない」てなわけです。

子供たちは、しばしばこんな誤解をしています。

「好きなことを好きなだけやって、裕福になりたいです。」

はい、これはまちがいです。ごく一部の例外を除いて、裕福は我慢の裏返しです。辛くてもがんばり、眠くても気合一発吹き飛ばすから、その対価を得られるのです。

子供たちは、反論します。

「先生の考え方は、古いです。」

はい、これもまちがいです。経済状況が変わり、政治システムが変わり、社会構造が変わって初めて、文化情勢が変わります。人々の考え方が変わるのは、最後の最後です。

現代なる時代は、ちょうど日露戦後あたりから始まったと、小生考えております。まだ百年しか経っていません。人々の意識が変わろうはずもありません。

さりながら若い世代が、小生どものような老人たちには、思いもよらなかったような発想をすることに、興味をそそられます。

今週は、「世代間イデオロギー闘争」に興じてみたいと思います。

おっと、「イデ闘」とか言い出しますと、立派に旧世代ですね(笑)。気をつけます(笑)。

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学園前教室・杉浦

ひき続き、春講日記書いてます!

こんにちは。学園前教室の杉浦です。

春講日記、ひき続き書いています。

今週は春講二週間目、「撰」をテーマのモロモロです。

撰-春講日記(7)
師-春講日記(8)
志-春講日記(9)
希-春講日記(10)
導-春講日記(11)
信-春講日記(12)

「撰」び「撰」ばれることの機微を、あれこれ論じてみました。

塾「撰」びの季節ですからね。

なお、ブログに直接飛ぶには、以下のリンクをお使いください。

http://blog.livedoor.jp/ishikawasugakujuku/archives/cat_910297.html

それでは、みなさん、これからいよいよ講習繁忙期。元気を出して、がんばりましょう!

石川数学塾大阪
学園前教室長・杉浦

ひき続き、春講日記書いてます!

こんにちは。学園前教室の杉浦です。

春講日記、ひき続き書いています。

今週は春講二週間目、「撰」をテーマのモロモロです。

撰-春講日記(7)
師-春講日記(8)
志-春講日記(9)
希-春講日記(10)
導-春講日記(11)
信-春講日記(12)

「撰」び「撰」ばれることの機微を、あれこれ論じてみました。

塾「撰」びの季節ですからね。

なお、ブログに直接飛ぶには、以下のリンクをお使いください。

http://blog.livedoor.jp/ishikawasugakujuku/archives/cat_910297.html

それでは、みなさん、これからいよいよ講習繁忙期。元気を出して、がんばりましょう!

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信-春講日記(12)

春講日記も、ついに折り返し地点に参りました。刹那に美しい桜の花といっしょで、春の時間は矢の如く過ぎ去っていきます。

小生、「撰」ばれるべきものは信念である…との思いを、強く持ち続けております。

過去を総括することは、おそらく歴史屋の仕事です。今を生きる人の仕事ではありません。

人は今を生きている己に矜持を持ち続け、そのことを使命とするべきです。

「連帯を求めて、孤立を恐れず。

力及ばずして、倒れることを辞さないが、

力尽くさずして、挫けることを拒否する。」

若者が怒り、闘うことを当然と考えたあの時代に、安田講堂に大書されたこの文言が、端的に信念そのものではないでしょうか。

子供たちには、少し難しい話かもしれません。

分かりやすいほうで…てなわけでもありませんが、あの時代の第十九回駒場祭のキャッチで笑いを誘います。

「止めてくれるな おっかさん

背中のいちょうが 泣いている」

銀杏並木とキャラメルママ、封鎖・激突・排除・「解決?」、懐かしくも信念を持ち続けた当事者たちが、次々と鬼籍に入っていかれます。

あの時代を「撰」びたい、しんどかったけど…、そんな思い出されかたをしてみたい小生です。

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学園前教室・杉浦

通知表について(新中1、中2生必読!)

こんにちは、奈良・高の原教室の飯尾です。
本日は終業式の学校が多かったのではないでしょうか?
その際、通知表もいただいている事と思います。

この通知表ですが、その点数だけを見て、
前よりも上がった・・・(^^♪、下がった・・・(^^;)等々、
一喜一憂して終わっている人も多いかもしれません。
この通知表の数字が今後どのように扱われるか、ご存じでしょうか?
公立の高校入試では通知表の数字が調査書(内申書)として評価されます。

詳しい内容は、この場では割愛いたしますが、
奈良県は主に、学力検査(試験当日の点数):調査書成績=2:1程度
であることに対し、
京都府は主に、学力検査(試験当日の点数):調査書成績=1:1程度

また、調査書成績は
奈良県は中2と中3での成績が1:2で、
京都府は中1の成績から、評価されることにご注意下さい。

この様に、通知表は、その学年・学期ごとの単なる評価ではなく、
入試に繋がる大事なものなのです。

この春、新学年になられる方(特に奈良県の新中2生、京都府の新中1生)は、
この1学期からの成績が入試に直結する事を忘れないで下さいね。

導-春講日記(11)

教える側にも、こんな人がいます。

「きみは一生懸命生きてきたかい?一生懸命生きることは、大事なことだよね。」

「きみは将来、何をしたいんだね?人生目標を持つことは、大事なことだよね。」

「きみは自信を持って生きているかい?なにはともあれ、自信を持とうじゃないか。」

まちがった指導ではないと思います。が、正しくもないです。

「こんな人」は、正しく生きることを教えています。ですから、まちがっていません。

しかしながら、己を語っていません。語っていないどころか、絶対安全地帯に避難したまま、対岸の火事を傍観しているといわれても仕方ありません。ですから、正しくないです。

小生はこんなことを語るときに、小生自身が何を一生懸命やり、残された人生の目標を何に設定し、なぜ自信を持って語っているのか、そのことを話すことにしています。

あまりに突拍子もないらしくて、皆さん大笑いされますが、一向に意に介しません。

どう生きるべきか語る人が、実際如何に生きているのか、その姿を「撰」びました…そう言っていただけることが、うれしいです。

余談です。仕事をしっかりやっているのは、あたりまえであって、自慢にはなりません。では、何を…?

興味、関心、お持ちの方は、講習期間を除いて毎週発行しています「大阪通信」をご覧あれ。

石川数学塾大阪
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導-春講日記(11)

教える側にも、こんな人がいます。

「きみは一生懸命生きてきたかい?一生懸命生きることは、大事なことだよね。」

「きみは将来、何をしたいんだね?人生目標を持つことは、大事なことだよね。」

「きみは自信を持って生きているかい?なにはともあれ、自信を持とうじゃないか。」

まちがった指導ではないと思います。が、正しくもないです。

「こんな人」は、正しく生きることを教えています。ですから、まちがっていません。

しかしながら、己を語っていません。語っていないどころか、絶対安全地帯に避難したまま、対岸の火事を傍観しているといわれても仕方ありません。ですから、正しくないです。

小生はこんなことを語るときに、小生自身が何を一生懸命やり、残された人生の目標を何に設定し、なぜ自信を持って語っているのか、そのことを話すことにしています。

あまりに突拍子もないらしくて、皆さん大笑いされますが、一向に意に介しません。

どう生きるべきか語る人が、実際如何に生きているのか、その姿を「撰」びました…そう言っていただけることが、うれしいです。

余談です。仕事をしっかりやっているのは、あたりまえであって、自慢にはなりません。では、何を…?

興味、関心、お持ちの方は、講習期間を除いて毎週発行しています「大阪通信」をご覧あれ。

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希-春講日記(10)

このようにおっしゃるご父母がいらっしゃいます。

「私の息子ですから、しょせん、この程度でしょう。」

「長年やってきてもダメでした。多くを期待しません。」

「何度言っても変わりません。言うだけ無駄だと思います。」

もしかすると、照れ隠しされているのかもしれませんが、期待することをやめ、語ることをやめられて、果たして子供は成長するのだろうか?…と、心配になってしまいます。

杞憂に終わらないところが恐ろしいところでして、自堕落に安穏とした子供が、手に負えなくなってから、ご父母が初めて騒ぎ出す…と、何度も繰り返されてきた構図かもしれません。

けがの程度に例えますと、親が子供をネグレクトし始めたところで軽傷から重傷へ、他人の手を借りざるをえなくなったところで、重傷から重体でしょうか。

多くのご父母が、子供にとって「理解」のある、あるいは「民主的」な、そんな時代風潮になってきました。

しかしながら、なんでもかんでも時代に迎合すればよいといったことでもありますまい。とくに教育をめぐる諸事は、時代遅れぐらいがちょうどいいと、長年の経験からハッキリ申せます。

「私たちが子供の頃って、こんなにゆるくなかったですよね。」

そんな当たり前のことに気づかれたご父母が、子供さんを連れて、弊塾にたくさんいらっしゃいます。

みごとに気づかれた皆さんに、弊塾を「撰」んで欲しいものだと、小生たちも思っています。

石川数学塾大阪
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