人-冬講日記(28)

「「人」という字は、二人が支えあって立っているんですね。どちらがいなくても、倒れてしまう」。

昨年の総選挙の折、東京の小選挙区から出馬された候補者が、街頭演説で語っておられました。

聞き覚えのある言葉ではありましたが、今さらながら、良い言葉だと思いました。

何でも一人でできていた若い頃には、思いもよらないことでした。歳をとると、身にしみてきます。

勉強も然り。己が幸せになるためにするものですが、立身出世の暁には、お互いさまに支えあう、その礎にしたいものです。

あたりまえのように新年を迎え、あたりまえに見過ごしそうなことなのかもしれません。

今年は少しだけ、こだわってみました。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

人-冬講日記(28)

「「人」という字は、二人が支えあって立っているんですね。どちらがいなくても、倒れてしまう」。

昨年の総選挙の折、東京の小選挙区から出馬された候補者が、街頭演説で語っておられました。

聞き覚えのある言葉ではありましたが、今さらながら、良い言葉だと思いました。

何でも一人でできていた若い頃には、思いもよらないことでした。歳をとると、身にしみてきます。

勉強も然り。己が幸せになるためにするものですが、立身出世の暁には、お互いさまに支えあう、その礎にしたいものです。

あたりまえのように新年を迎え、あたりまえに見過ごしそうなことなのかもしれません。

今年は少しだけ、こだわってみました。

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学園前教室・杉浦

謝-冬講日記(27)

今年も一年が終ろうとしております。皆様のおかげです。ありがとうございます。

あたりまえのように、目前にあるものに対して、敢えて感謝することがない私たちですが、ある日突然、目の前がまっさらになってしまったら、きっととてつもない喪失感に苛まれそうな気がします。

そんなあれこれを掘り起こして、感謝する年末にしたいです。

日々少しずつ「まっとう」であることが難しい世の中になっていきます。奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)が、何故だか幅を利かせてきます。

奇妙に奇妙で応酬していては子供の喧嘩です。非生産性の最たるものです。

あたりまえに「まっとう」であることは、そのままズバリ、「まっとう」な人間関係に他なりません。

「まっとう」な教育は、こうして準備されるのでしょう。

もうすぐ始まる新しい年が、「まっとう」にあふれるものでありますように。

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謝-冬講日記(27)

今年も一年が終ろうとしております。皆様のおかげです。ありがとうございます。

あたりまえのように、目前にあるものに対して、敢えて感謝することがない私たちですが、ある日突然、目の前がまっさらになってしまったら、きっととてつもない喪失感に苛まれそうな気がします。

そんなあれこれを掘り起こして、感謝する年末にしたいです。

日々少しずつ「まっとう」であることが難しい世の中になっていきます。奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)が、何故だか幅を利かせてきます。

奇妙に奇妙で応酬していては子供の喧嘩です。非生産性の最たるものです。

あたりまえに「まっとう」であることは、そのままズバリ、「まっとう」な人間関係に他なりません。

「まっとう」な教育は、こうして準備されるのでしょう。

もうすぐ始まる新しい年が、「まっとう」にあふれるものでありますように。

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学園前教室・杉浦

諭-冬講日記(26)

「試験結果、あまり良くありませんでした」と、成績表を持ってくる生徒がいます。ああだ、こうだ、ああすれば良かった、こうすれば良かったと、山ほど言い訳します。

私は最後まで聞くことにしています。聞き終わったら、最後にこう言います。

「まだまだ勉強!と、分かって良かったね。さあ、直そうか。」

生徒は、ハッと我に返ったように、再び勉強し始めます。

「子供と、どう接していいのかわからない」という親御さんが増えています。そんな親御さんに、私がお話しするエピソードです。

親御さんはきっとご家庭内で、愛情あふれる叱咤激励を、不断に継続なさっているのでしょう。ありがたいことです。

しかしながら、勉強結果に対してだけガンガンおっしゃるとなると、逆効果かもしれません。

子供さんが試験結果を、オドオドと持ってくるようになってしまいます。

勉強に限らずとも、結果が出てからあれこれ言ったところで、何も始まりません。時計の針は、逆には廻らないからです。

それよりも大切なことは、「結果ではなく、意欲を誉めること」です。

結果をはじき出すものは、何よりも意欲ですし、意欲あればこその結果でありましょう。

ダメであることは、うまくいくための無限の可能性を内包していること、その可能性を意欲に転化することが、最も素晴らしい激励なのです。

そのためには、焦りは禁物です。短期決戦は、絵に描いた餅です。

持久戦を厭わず、長期決戦を覚悟したものだけが、栄光を掴み取ることができるのです。

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諭-冬講日記(26)

「試験結果、あまり良くありませんでした」と、成績表を持ってくる生徒がいます。ああだ、こうだ、ああすれば良かった、こうすれば良かったと、山ほど言い訳します。

私は最後まで聞くことにしています。聞き終わったら、最後にこう言います。

「まだまだ勉強!と、分かって良かったね。さあ、直そうか。」

生徒は、ハッと我に返ったように、再び勉強し始めます。

「子供と、どう接していいのかわからない」という親御さんが増えています。そんな親御さんに、私がお話しするエピソードです。

親御さんはきっとご家庭内で、愛情あふれる叱咤激励を、不断に継続なさっているのでしょう。ありがたいことです。

しかしながら、勉強結果に対してだけガンガンおっしゃるとなると、逆効果かもしれません。

子供さんが試験結果を、オドオドと持ってくるようになってしまいます。

勉強に限らずとも、結果が出てからあれこれ言ったところで、何も始まりません。時計の針は、逆には廻らないからです。

それよりも大切なことは、「結果ではなく、意欲を誉めること」です。

結果をはじき出すものは、何よりも意欲ですし、意欲あればこその結果でありましょう。

ダメであることは、うまくいくための無限の可能性を内包していること、その可能性を意欲に転化することが、最も素晴らしい激励なのです。

そのためには、焦りは禁物です。短期決戦は、絵に描いた餅です。

持久戦を厭わず、長期決戦を覚悟したものだけが、栄光を掴み取ることができるのです。

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信-冬講日記(25)

深く信じて、前に進む者になりたいと思います。

「この国の風土も、海も、山も、空気も、風もすべて、国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです。」

かつて痛快にも、こう言い放ったのは、病身をおして沖縄知事選挙の応援演説にいらっしゃった故・菅原文太さんです。

「いのちの党」を名のり、晩年を反戦平和と農業に奉げた文太さんは、ご自身が主演された映画「仁義なき戦い」の最終シーンから、このようにも付け加えられました。

「弾はぁ、まだ一発、残っとるがよ。」

文太さんの演説に、信じることの素晴らしさ、そして揺らぎなさを感じるのは、私だけではありますまい。

しかしながら、人にものを教える人間には、良くも悪くも風見鶏が多いといいます。

そんなものにはなりたくない、文太さんのようになりたいと、私は常々思っているのです。

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信-冬講日記(25)

深く信じて、前に進む者になりたいと思います。

「この国の風土も、海も、山も、空気も、風もすべて、国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです。」

かつて痛快にも、こう言い放ったのは、病身をおして沖縄知事選挙の応援演説にいらっしゃった故・菅原文太さんです。

「いのちの党」を名のり、晩年を反戦平和と農業に奉げた文太さんは、ご自身が主演された映画「仁義なき戦い」の最終シーンから、このようにも付け加えられました。

「弾はぁ、まだ一発、残っとるがよ。」

文太さんの演説に、信じることの素晴らしさ、そして揺らぎなさを感じるのは、私だけではありますまい。

しかしながら、人にものを教える人間には、良くも悪くも風見鶏が多いといいます。

そんなものにはなりたくない、文太さんのようになりたいと、私は常々思っているのです。

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学園前教室・杉浦

決-冬講日記(24)

頭デッカチはいけません。決めるべき時に、決められなくなってしまうからです。

なんでもかんでも決めすぎてもいけませんが、昨今「決めすぎ」よりも、圧倒的に「決められな」い人々が増えてきています。

私も最近、「ちょっといいな」と思ったパソコンを購入する際、この経験をしました。

「ちょっといい」パソコンが、年末大売出しみたいになっていまして、三日おきに定価が下がっていきました。

いったん決意して発注しようとするのですが、「まてよ、もしかしてさらに値下げがあるかも?」と思うと躊躇してしまいます。

「もう、ここらあたりで」と、満を持して発注した翌朝、DMに値下げの文字が踊り、再発注となりました。

「優柔不断、いかん、いかん」と思いながら、なぜか頭と体がバラバラに動いてしまいます。典型的な頭デッカチでした。

四日ほどで到着した即納モデルでしたが、最近のパソコンは、軽くて静かで可愛らしくて…、本当に良いですね。

25年くらい前、当時IBM-PC/ATと呼ばれていたパソコンが、まるで重金属の塊だったころを知っている私は、隔世の感です。

「もっと早く手に入れるべきだった」と思う私も、終始頭デッカチに他なりません。

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決-冬講日記(24)

頭デッカチはいけません。決めるべき時に、決められなくなってしまうからです。

なんでもかんでも決めすぎてもいけませんが、昨今「決めすぎ」よりも、圧倒的に「決められな」い人々が増えてきています。

私も最近、「ちょっといいな」と思ったパソコンを購入する際、この経験をしました。

「ちょっといい」パソコンが、年末大売出しみたいになっていまして、三日おきに定価が下がっていきました。

いったん決意して発注しようとするのですが、「まてよ、もしかしてさらに値下げがあるかも?」と思うと躊躇してしまいます。

「もう、ここらあたりで」と、満を持して発注した翌朝、DMに値下げの文字が踊り、再発注となりました。

「優柔不断、いかん、いかん」と思いながら、なぜか頭と体がバラバラに動いてしまいます。典型的な頭デッカチでした。

四日ほどで到着した即納モデルでしたが、最近のパソコンは、軽くて静かで可愛らしくて…、本当に良いですね。

25年くらい前、当時IBM-PC/ATと呼ばれていたパソコンが、まるで重金属の塊だったころを知っている私は、隔世の感です。

「もっと早く手に入れるべきだった」と思う私も、終始頭デッカチに他なりません。

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