説-夏講日記(その15)

「分からない設問」や「できない設問」を、私たちは解説します。いつもどおり解説しながら、具体的には「解説ノート」にしたためながら、注意を払っていることがあります。どんなことでしょうか。

いわゆる「教師」の手引書には、こんなふうに書いてあります。

「生徒の理解度を、表情や視線から読み取りながら、テンポ良く解説しましょう。」

これは、至極あたりまえのハウツーです。できなければ「教える」資格がありません。学校でも塾でも、同じです。ご家庭でご父母に教わるときも同じです。

私がこの業界に入ったころ、先輩の先生に、こんなふうに教えられました。

「世界一の解説をしても、生徒が聞いてなければ無意味。だから、教えることとは、きっちり聞かせることだ!」

はい、そのとおりです。でも、それだけでしょうか?

「目の前で解いてあげます。隅から隅まで、私の解説を再現できるようになりなさい。」

「あなたが聞いて一番よく分かる説明が、他の誰にも一番よく分かるわけではありません。詰まるポイントは人それぞれ、それを突破して、初めて分かりますからね。」

「私はあなたの解説中、おそらく他の誰にも繰り返さない貴重な解説をします。全感覚を耳に集中して聞きなさい。」

私が近ごろ盛んに使う言葉たちです。

そういえば、「いつ、だれが説明しても高度にわかりやすい、ただ一つの解説を用意することが、塾の品質保証だ…」、そう言われた時代がありました。

もはやこの言葉、博物館の陳列棚に収納してしまいましょうか(笑)。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦