春期講習は今週が最終ですよ。

4月に入り、日中のぽかぽか陽気に何だかウキウキした気持ちになりますね。

早いところでは週末には入学式や始業式を向かえる様ですが、春休み前に決めたことのやり残し、学校の課題のやり残しなどはありませんか?

上本町教室の今年の春期講習は、鹿児島や北関東などの他府県から帰阪されて講習に参加いただいたケースなどもあって、終盤の日程でまだ少しお席がありますよ。

お悩みのところがあれば、今からでも受講可能です。

残すところも後僅か。最後のひと踏ん張りです。

上本町本部教室 中土井

春期講習のご案内

 

 

嬉-春講日記(20)

春は嬉しい季節です。

温かくなってきますから嬉しいです。

草芽吹き、花咲くことが嬉しいです。

新しい出会いがあるから嬉しいです。

目の前が突然、ガラッと変わるから嬉しいのではありません。少しずつ変わっていくことが嬉しいのです。

なにやら今年は、桜の開花が遅れている由。春講明けには、満開を思う存分堪能できそうです。こちらは例年に無く嬉しいです。

さてさて、一番うれしいことです。それは今年も、多くの皆さんに講習授業を受けていただいたこと。これに尽きます。

春講の決意を固め、ご案内をしたため、念入りに鍛錬し始めますのが一月中旬。中学入試の統一日程が、終わった直後です。

夏講はGW明け、冬講は秋期休暇明け、「不始末は、即引退」と心得ねばならぬ歳になりました。

そうだからこそ小生は、二ヶ月弱にわたって叫ぶところのアッピールに耳を傾け、結集していただけることが、無上に嬉しいのです。

本年度も多くの皆様のご期待に添いたい、そう思える嬉しさを、かみしめています。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

喜-春講日記(19)

早いものですね。春期講習も、いよいよラスト一週です。

今春も、うれしいご報告をたくさんいただきました。

先々週末の土曜日、授業後の残務にいそしんでおりますと、10年前の卒業生がご来訪。

10年前といっても、10年ぶりというわけではありません。夏合宿を助けに来ていただいている先輩です。

遥か九州に医学の修業を志して早や四年、座学を終え臨床に出撃するとの報告でした。

留年なしの快進撃、立派なものです。

…と、このこともおおいに重要な報告だったようですが、さらに輪をかけて重要な報告がありました。

「婚約者を連れてきました!」と、はい、ビックリです。

外でお待ちの婚約者さんにも、さっそく談笑に加わっていただき、いやはや楽しいひとときでした。

卒業生さんの中学入試合格に、大きなガッツポーズをしましたのが、昨日のことのようですのに、もうすぐご結婚されるのですね。

なるほど、本当に早いものです。

将来は、ご夫婦そろってお医者さんです。ご活躍を、心からお祈り申し上げます。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

しつこく、春講日記書いてます!

こんにちは。学園前教室の杉浦です。

春講日記、しつこく書いています(笑)。

今週は春講三週間目、「世代」をテーマのあれこれです。

貧-春講日記(13)
富-春講日記(14)
殉-春講日記(15)
紳-春講日記(16)
采-春講日記(17)
和-春講日記(18)

オジサンたちは、若い世代に期待のあまり、ついつい口うるさくなりがちですね。

若い世代も、つかず離れず、微妙な距離感の近ごろでしょうか。

あくまでも主観的には、「まだまだ若い」小生の、世代間論争でもあります。

ちと固い内容だったかもしれません。

なお、ブログに直接飛ぶには、以下のリンクをお使いください。

http://blog.livedoor.jp/ishikawasugakujuku/archives/cat_910297.html

それでは、みなさん、あと一週間!元気を出して、がんばりましょう!

石川数学塾大阪
学園前教室長・杉浦

和-春講日記(18)

若かりし頃を忘れたオジサンたちを、石頭と呼びます。

「近ごろの若ぇもんは…(怒)」と怒鳴る前に、オジサンにも「若ぇ頃」があったことを思い出すべきです。

そういえば小生なんぞは、わけのわからない類のおませさんでした。

ド短足に袴みたいなジーンズはいて、ただ単に散髪するのが面倒なだけの長髪をなびかせていました。

ギターで四畳半フォークの弾き語り…のつもりが、絃を押さえる左手、いかにも覚束なく、立派なフォークゲリラになりたくても、なんだか門前払いの様相でした。

ジーンズの裾が、いつのまにかチョキチョキ切られ、頭髪に至っては、面倒だから坊主でええやろ…と、なるほどその程度の者かと納得するに、そんなに長い時間はかかりませんでした。

そうなんですよね。オジサンたちは、昔日を忘れてしまっているのです。

Hegel bemerkte irgendwo, daß alle großen weltgeschichtlichen Tatsachen und Personen sich sozusagen zweimal ereignen. Er hat vergessen, hinzuzufügen: das eine Mal als Tragödie, das andere Mal als Farce.

ヘーゲルは「歴史は二度繰り返す」といったが、このように付け加えることを忘れていた。「一度目は悲劇として、二度目は茶番として」。

有名なマルクスの言葉であります(“Der achtzehnte Brumaire des Louis Bonaparte”, 邦訳『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)。

二度目の茶番を避けんがため、オジサンたちが若者を卍固め、これはあまりに愚かなことでしょう。

若者にとって、まだまだ一度目の悲劇。貴重なイニシエーションなのですから。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦