和-春講日記(18)

若かりし頃を忘れたオジサンたちを、石頭と呼びます。

「近ごろの若ぇもんは…(怒)」と怒鳴る前に、オジサンにも「若ぇ頃」があったことを思い出すべきです。

そういえば小生なんぞは、わけのわからない類のおませさんでした。

ド短足に袴みたいなジーンズはいて、ただ単に散髪するのが面倒なだけの長髪をなびかせていました。

ギターで四畳半フォークの弾き語り…のつもりが、絃を押さえる左手、いかにも覚束なく、立派なフォークゲリラになりたくても、なんだか門前払いの様相でした。

ジーンズの裾が、いつのまにかチョキチョキ切られ、頭髪に至っては、面倒だから坊主でええやろ…と、なるほどその程度の者かと納得するに、そんなに長い時間はかかりませんでした。

そうなんですよね。オジサンたちは、昔日を忘れてしまっているのです。

Hegel bemerkte irgendwo, daß alle großen weltgeschichtlichen Tatsachen und Personen sich sozusagen zweimal ereignen. Er hat vergessen, hinzuzufügen: das eine Mal als Tragödie, das andere Mal als Farce.

ヘーゲルは「歴史は二度繰り返す」といったが、このように付け加えることを忘れていた。「一度目は悲劇として、二度目は茶番として」。

有名なマルクスの言葉であります(“Der achtzehnte Brumaire des Louis Bonaparte”, 邦訳『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)。

二度目の茶番を避けんがため、オジサンたちが若者を卍固め、これはあまりに愚かなことでしょう。

若者にとって、まだまだ一度目の悲劇。貴重なイニシエーションなのですから。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦