惑-冬講日記(22)

論語に曰く「四十ニシテ惑ハズ」。小生十年以上も前に「不惑」の境地に達したはずですが、まだまだ修行が足らないようで、あいかわらず気移りいたしております。

しかしながら、惑いまくりの小生からしましても、最近の受験生の皆様には、「そんなに惑いなさんな!」とアドバイスさしあげたくなるくらいに「惑惑」状態を感じざるをえません。

幼くして将来の目標を見据え、まっしぐらに勉学に励む受験生が多くなってきました。

将来の目標は無いまでも、「勉強しないことの恐ろしさ」にほだされ、まっすぐに前だけを見据えて邁進する皆さんもたくさんいらっしゃいます。

ところがそのような皆さんこそが、受験直前の「ブレ」や「ゆがみ」の主人公でもあります。何故なのでしょう。

種明かししますと、まっしぐらに邁進する皆さんが、往々にして「馬車馬」になってしまっていることが原因なのです。

可能な限り「前進力」を高めようとしますと、できるだけ「外野」を見えない状態に囲い込まれます。

「もしかすると、今のところ見えていない外野にこそ、真の人生目標があるかもしれない」とか、「強迫観念以外に、もっとバラ色のモチベーションがあるかもしれない」など、冷静に外野を見てこそ判別できることを、考えないままに持ちきたすことになるのです。

受験が終わってから、「ちょっと、見てみよう」なら、実害が少ないのですが、はからずも受験直前ですと、目も当てられなくなるのです。親子関係が崩壊する原因にもなりかねません。

これを「大惑い」と申すのでしたら、惑わなくて済む対策もただひとつ。できるだけ早い段階で、「正しく惑って」おくのです。

「少し早いかな」と思われても、勇気を出して考えてみること、「不惑」意外にも、多くの局面で、重要な対処薬になるでしょう。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦