営-冬講日記(21)

ある朝、突然に、学校教育が完全民営化されていたら…。

満六才から、大人になって仕事を始めるまでに、勉強しておかなくてはならないことが決まっています。「基本教育」を行うことを、法令的に認められた「基本学校」が講じる、「読み・書き・計算」です。

いわゆる基本的リテラシーですね。いずれも国家試験に合格しておかなくてはなりません。合格証明書がないと、就職することもできませんし、アルバイトすらできません。

…ですが「基本教育」は無学年制ですから、六歳で修了して証明書を取得することも、理論上可能です。

「基本教育」の費用は全額、地方自治体と国家が負担します。義務教育は、これだけです。

これに対して、「応用教育」を行う「応用学校」は、設置主体の創意工夫によって開拓されていきます。

受験勉強だけに特化した「受験応用教育」をしてもいいですし、体力増進のみを目的とした「身体鍛錬応用教育」をやってもいいです。「任侠道」に依拠した「特別道徳応用教育」をしてもかまいません。

こちらの費用は、全額生徒負担です。応用教育を受けなくても構いませんが、就職するときなど、雇用者から「出願条件は、石川数学塾大阪小・中・高等学校が提供する高度受験応用教育修了を必須要件とする」などと、細かく指定されますので、勉強せざるを得なくなることが多いようです。

「応用教育」は、完全に市場原理に基づいて運営されます。人々に無用なものは消えていきますし、人々が必要とするものが生き残るのです。

さてさて、「近世の寺子屋教育ですか?」と、聞かれることがあります。「そのとおりです」と答えます。

明治維新以来の近代日本は、公教育に「教育」を抱え込ませすぎて、身動き取れなくなっています。「受験地獄」だとか、「校内暴力」だとか、「いじめ」だとか、弊害ばかりが目立つこの巨象に、もはや存在意義を見出せなくなっています。

ここあたりでひとつ、ちいさな小包にバラケて、包み直そうじゃないですか。

…なお現状、特別支援教育と言われているものや、定時制教育、夜間教育など、誰もがそのリスクを負いながらも、切り捨てられやすい領域には、特に配慮が必要になります。

教育民営化は、教育システムをめぐる甘えの構造を粉砕しますが、本当に支援を必要とする人々に、冷たくあたることを目的とはしません。

人々にとって、ほんとうに血の通ったシステムと信ずるに足るものを、人々の手に取り戻したいだけなのです。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦