隔-冬講日記(13)

申し訳ありません。講演会「国家誕生の地、桜井を語る~マキムクからイワレへ、大王の歩んだ道~」、引きずっております。

「よほど、おもしろかったんですね。良かったですね」と、喜んでもらえます。はい、そのとおり、強烈におもしろかったです。

どんな学問にも師弟関係はあろうかと思いますが、考古学の世界を見渡しますと、笑ってしまうくらいに深くて強いきずなを感じてしまいます。

畝傍山のふもとの考古学研究所が、関西大学考古学研究室系で、名伯楽でもいらっしゃったS先生流であり、平城宮跡内の文化財研究所が、京都大学考古学研究室系で、三角縁神獣鏡と王権の考察をはじめられたK先生とか、堅調な学問業績とは裏腹に、何かと人間関係に波風を立てられたU先生流であると、小生のような浅学非才の輩もなんとなく心得ているわけです。

今回の講演でも「S先生の子分」を自称される老師が、「S先生の授業をさぼって、U先生の現場を見に行ったら、ムチャクチャ叱られた」などとボヤかれるにつけ、会場に失笑が漏れていましたのも、なんともアジのある瞬間でした。

ただし、そうは言うものの、古い世代の遺恨とか怨念とか、そういうオドロオドロしいものは、できるだけ見て見ぬふりをして、学問の本分に立ち返ろうとする若い世代の本音も見え隠れします。

「ヤマト国は近畿にあって、国王は帥升だったのか。帥升は近畿にいたのか?」などと、ネチネチと攻撃をかます老師を尻目に、「歴博の炭素14年代法は、全然ダメ。庄内式開始時期を上げ過ぎ、弥生Ⅴ式はこんなに狭くない。聖俗二元論は焼き直し、執政王が将軍であってはならない理由がない」と、ザクザク切り刻まれた寺澤薫先生の言説が、「では、ここからは和気あいあいと…(笑)」を本音とするものであると読み解けば、これまたアジのある一言と存じました。

小生、個人的には、学問の背後にドロドロした人間関係があっても、悪くないどころか、かえって面白いと達観しているほうですが、時代を世代が変えていく、そんなものも強く感じざるをえません。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦