(続々)てくてく-春講日記(20)
一昨日の日曜日、今にも降り出しそうな天気でしたが、てくてくしてきました。
講習期間に入りますと、朝のウォーキングができませんので、那羅山の神仏にご無沙汰気味ですが、一昨日にはしっかりと詣でてまいりました。
24号線を超えて平城宮跡へ。久しぶりに盾列古墳群へ。巨大前方後円墳が密集しております。
初期ヤマト王権が三輪山のふもとに始まり、その衰退と軌を一にして巨墳が営まれ始め、河内王権とも共存するかのように、5世紀を通じて賑やかでした。
ここだけの話ですが、桜や梅と同じように、古墳にも見ごろというものがあります。墳丘を覆う草木が、ある程度枯れ果てた早春、普段立ち入り禁止のエリアに、間伐が入ります。
草木や丸太が積み上げられ、どこかに持ち去られると、墳丘すそから墳頂が、スコーンと見渡せます。段築具合が、こうなっていたんだ!などと、納得しきりです。
さて、時節到来の見どころは、ずばり近鉄平城駅から歩いて5分、日葉酢姫陵として知られる佐紀陵山(さきみささぎやま)古墳です。
日葉酢姫は垂仁后、狭穂姫さんが狭穂彦の乱に連座してのち、後妻となられた方ですね。
墳頂に大きな衣笠型埴輪があって、石棺が露出していたと、近世の史書にありますが、大正五年に盗掘された際、墳頂も地ならしされて現在に至ります。
うむうむ、かなり見えておりますです…はい。
こんなことを、あれこれ考えながら、22km、28000歩の、楽しいウォーキングでした。
安全な教室-春講日記(19)
学園前教室が入っておりますセブンスターマンション、本日から大規模修繕に入ります。
徹底的に防水して、床や壁のコンクリートを安全に保つための工事です。
外壁を足場が覆いますが、教室はいつも通り開いておりますので、授業を行います。
ただし危険ですから、足場付近には近づかないよう、お願いいたします。
4月1日(金)、もうすぐお昼頃の地震には、ビビられた方も多かったのではないでしょうか。
学園前教室では、生徒12人と私が、一生懸命勉強しておりました。
みなさんの携帯から、私のiPhoneからも、緊急地震速報が、けたたましく鳴り響きました。
幸い教室はたいして揺れませんでしたが、地震発生地点を確認し、第二波の脅威を感じましたので、みなさんマンションの玄関先まで避難していただきました。
これまた幸いに、地震は収まったようでしたので、授業再開となりました。
机の下の隠れて万事良し…とも行かなくなっている昨今かもしれません。今後も適宜柔軟に対応します。
石川数学塾大阪、各教室とも、今後も十分な安全管理を徹底して参ります。
春講日記、しつこく書いてます!
こんにちは。学園前教室の杉浦です。
春講日記、しつこく書いています。
「そんなに言いたいことがあるのか?」と、聞かれることがあります。
はい、あと少し、しゃべらせてください。
春講日記、以下のリンクから、たどってみてください。
http://blog.livedoor.jp/ishikawasugakujuku/archives/cat_910297.html
春講第三週の記事です。
(続)てくてく-春講日記(13)
桃源郷(後編)-春講日記(14)
時代遅れ-春講日記(15)
好学の徒-春講日記(16)
うまい話-春講日記(17)
そぞろ神-春講日記(18)
そぞろ神-春講日記(18)
「しき嶋の やまとごころを 人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花」
本居宣長に誘われて、満開の山桜を楽しみに、山中に分け入ってしまいます。山の神が小生を呼んでいます。
そぞろ神と申すようです。道々を守る道祖神に、化身しているのだとか。
たしかによく見ますと、錫杖を持つ手が、こっちゃ来い、こっちゃ来い…しております。
誘われてふらふら出ていく小生も小生ですが、誘う神も誘う神であります。
おおっと、責任転嫁はいけませんね。
小生まだまだ、修行が足りません。
「ねがはくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ」
旧暦二月(如月)の満月は、新暦三月下旬と申します。
満開の桜を踏み分けるように、死出の旅路を歩みたいものだと、西行法師が恋い焦がれ、法師はその通りの往生を遂げたと申します。
昨年の春講日記に、紀友則から「久方の 光のどけき」といただきました。
今春は西行から。「その如月の 望月のころ」とシャレこんでみます。
うまい話-春講日記(17)
年末や年度末になると、かかってくる電話、ご商売なさっていらっしゃるかたでしたら、一度は聞かれたことがあるでしょう。
「このご時世、資金繰り、たいへんですよね。
お世話になったあなただけに、特別枠のご融資を差し上げますよ。
上得意様枠、特別低利でお貸しします。
私どもは、某政党の大物でいらっしゃた「あるおかた」の遺産管理を差し上げていますから、こんなお話さしあげられるのです。
そうそう、政界再編資金を金塊で隠していらっしゃった、あのかたです。
いかがですか。担保不要の低金利ですよ。
最初にほんの少しだけ、保証金を積んでいただきますけどね。」
このウサクサ話にみごとに引っかかってしまう方々のほとんどが、次の話なら冷静に見破られるのだそうです。
「特別枠、低利のご融資です。
私どもは、GHQ民生局にいらっしゃったマッカート少将の隠し資産を管理しています。
担保不要ですが、かわりに一度だけ保証金を積んでいただきますが…。」
はい、M資金ですね。被害額が小学校4年生の「大きな数」(「兆」を学びます)に迫るという、古典的な詐欺話です。
分かっちゃいたのになぁ…の、ほとんどが甘すぎるお話です。
何かと春めいてきたこの頃、思考回路まで春めかぬよう自戒しております。
うまい話-春講日記(17)
年末や年度末になると、かかってくる電話、ご商売なさっていらっしゃるかたでしたら、一度は聞かれたことがあるでしょう。
「このご時世、資金繰り、たいへんですよね。
お世話になったあなただけに、特別枠のご融資を差し上げますよ。
上得意様枠、特別低利でお貸しします。
私どもは、某政党の大物でいらっしゃた「あるおかた」の遺産管理を差し上げていますから、こんなお話さしあげられるのです。
そうそう、政界再編資金を金塊で隠していらっしゃった、あのかたです。
いかがですか。担保不要の低金利ですよ。
最初にほんの少しだけ、保証金を積んでいただきますけどね。」
このウサクサ話にみごとに引っかかってしまう方々のほとんどが、次の話なら冷静に見破られるのだそうです。
「特別枠、低利のご融資です。
私どもは、GHQ民生局にいらっしゃったマッカート少将の隠し資産を管理しています。
担保不要ですが、かわりに一度だけ保証金を積んでいただきますが…。」
はい、M資金ですね。被害額が小学校4年生の「大きな数」(「兆」を学びます)に迫るという、古典的な詐欺話です。
分かっちゃいたのになぁ…の、ほとんどが甘すぎるお話です。
何かと春めいてきたこの頃、思考回路まで春めかぬよう自戒しております。
好学の徒-春講日記(16)
勉強ができるようになりたい人と、勉強ができるようになってほしい人が、塾屋の顧客です。
顧客を大事にせずして、商売は成り立ちません。
塾屋は一生懸命、勉強ができるようになる方法論を伝授します。
顧客は一生懸命学びます。
「学校」というエスタブリッシュメントでは、きっと教えてもらえないのでしょう。
書物・映像などにも、ピッタリ該当するものがないか、あってもインパクトが薄いのだと思います。
こうして塾屋の商売が成立します。
長いこと塾屋をやっていますと、顧客の羨望を感じます。
「先生のように勉強ができるようになりたいです。」
「先生みたいにスラスラ解けたら、どんなに幸せなことでしょう。」
すばらしいモチベーションですが、少し立ち止まって考えておいてください。
小生は少なくとも、勉強が好きで、あまり苦も無くやってきた類の人です。お天気まかせの風まかせではありますが、勉強を苦しいと感じたことがありません。
そんな人にとって「勉強」なるものは、音楽好きがCDを聞くのといっしょ、サッカー好きがグラウンドを駆け巡るのといっしょ、多少たとえは悪いですが、パチプロになったパチンコ好きといっしょ、雀鬼になった麻雀好きと一緒です。
多くの人にとって、勉強なるものは、そんなものではないですよね。嫌いでも我慢してやるもの、やらざるを得ないから、泣きながらでもするもの…ですね。
ですから、先生みたいになってはいけないのです。と言いますか、なれないのです。
しかしながら、好きなことだけをむやみやたらにやっている人と、嫌いなことでも我慢してできる人、どっちが偉いでしょうか。
生徒たちに、こんなふうにいます。
きみのご両親のお姿を、思い起こしなさい。好きな仕事だけやっていますか?少しくらい文句たれながらでも、嫌いなことを我慢してやってはりますよね。家族のため、社会のため、国家のため、一生懸命生きてはりますでしょう。
そんな人間になる努力をしなさい。勉強嫌い、大いに結構。神様は、あなたを、好きなことしかできない人にしないよう、ご配慮下さったのですよ。
さあ、がんばりたまえ!
…「勉強は好きになってやり始め、好きだからこそやり続ける」、そんな無知蒙昧は、そろそろ捨てようじゃありませんか。
学者や官僚の作文に、益するところはありません。机上の空論に、価値はありません。
好学の徒は、そんなふうに考えています。
好学の徒-春講日記(16)
勉強ができるようになりたい人と、勉強ができるようになってほしい人が、塾屋の顧客です。
顧客を大事にせずして、商売は成り立ちません。
塾屋は一生懸命、勉強ができるようになる方法論を伝授します。
顧客は一生懸命学びます。
「学校」というエスタブリッシュメントでは、きっと教えてもらえないのでしょう。
書物・映像などにも、ピッタリ該当するものがないか、あってもインパクトが薄いのだと思います。
こうして塾屋の商売が成立します。
長いこと塾屋をやっていますと、顧客の羨望を感じます。
「先生のように勉強ができるようになりたいです。」
「先生みたいにスラスラ解けたら、どんなに幸せなことでしょう。」
すばらしいモチベーションですが、少し立ち止まって考えておいてください。
小生は少なくとも、勉強が好きで、あまり苦も無くやってきた類の人です。お天気まかせの風まかせではありますが、勉強を苦しいと感じたことがありません。
そんな人にとって「勉強」なるものは、音楽好きがCDを聞くのといっしょ、サッカー好きがグラウンドを駆け巡るのといっしょ、多少たとえは悪いですが、パチプロになったパチンコ好きといっしょ、雀鬼になった麻雀好きと一緒です。
多くの人にとって、勉強なるものは、そんなものではないですよね。嫌いでも我慢してやるもの、やらざるを得ないから、泣きながらでもするもの…ですね。
ですから、先生みたいになってはいけないのです。と言いますか、なれないのです。
しかしながら、好きなことだけをむやみやたらにやっている人と、嫌いなことでも我慢してできる人、どっちが偉いでしょうか。
生徒たちに、こんなふうにいます。
きみのご両親のお姿を、思い起こしなさい。好きな仕事だけやっていますか?少しくらい文句たれながらでも、嫌いなことを我慢してやってはりますよね。家族のため、社会のため、国家のため、一生懸命生きてはりますでしょう。
そんな人間になる努力をしなさい。勉強嫌い、大いに結構。神様は、あなたを、好きなことしかできない人にしないよう、ご配慮下さったのですよ。
さあ、がんばりたまえ!
…「勉強は好きになってやり始め、好きだからこそやり続ける」、そんな無知蒙昧は、そろそろ捨てようじゃありませんか。
学者や官僚の作文に、益するところはありません。机上の空論に、価値はありません。
好学の徒は、そんなふうに考えています。
時代遅れ-春講日記(15)
メールのフッタを変えました。
「iPhoneから送信」でも悪くなかった、といいますか、大人しくなって、かえって良かったのかもしれませんが、変えました。
「連帯を求めて 孤立を恐れず
力及ばずして 倒れることを辞さないが
力尽くさずして 挫けることを拒否する」
どっかで聞いたな…と思われた方は、小生と同じくらい、またはもう少し激しい程度に、ご年輩かもしれません。
若者が、怒り、闘っていた頃の、有名なスローガンです。
高沢浩司氏によると、水が火を消すという「伝説」が復活し、スローガンが封印されました。
長い長い間、封印されていました。
いつのまにか封印を解かれ、片付けられ、きれいに塗り直されて、今に至るそうです。
高沢氏の著書に『全共闘グラフィティ』(新泉社)があります。
神田解放区に燃えていた炎も、東大安田講堂を包み込んだ炎も、大量の放水に消されたと。
こんなこと、ごちゃごちゃ言っている時代遅れに、無理やりつき合わされるフッタになりました。
しばし、ご寛恕あれ。