毘-夏講日記(その10)

七福神の中で、唯一の軍人スタイルが毘沙門天です。厚い鎧を身にまとい、仏敵を殲滅することが、本来の使命でございました。

同じように仏敵と闘う輩が、他にも三者おりまして、持国天、増長天、広目天と、そうそう、この並びで言いますと、毘沙門天は「多聞天」と称されるのだそうです。

戦国の梟雄・松永弾正が、東大寺を望む丘の上に造りましたのが多聞城、信長に何度も反旗を翻した弾正が、信貴山城に追い詰められて爆死したのち、破却されたといいます。天守閣が史上初めてそびえた城としても有名でしたが、その跡地には若草中学校があります。

ほとんど地続きの向かい側に、聖武陵と光明子陵、奈良時代の造作でありましたが、いつのまにか眉間にビームを発する怪しい僧が、その名も「眉間寺」を開いたといいます。「大和名所図会」にも、聖武陵というより、立派に眉間寺でありまして、堂宇朽ち果て、単なる古墳に戻った現今、世の無常を感じざるをえません。

そういえば信長が、正倉院御物であった名香・蘭奢待(らんじゃたい)を要求した際、多聞城にありったけの兵を詰めさせ、東大寺に向かって気勢をあげさせ続けたといいます。

東大寺の僧たちは、日夜限りなく続く叫び声にノイローゼとなって、ついに正倉院を開け、蘭奢待を差し出したとか。

ちなみに「蘭奢待」のカマエや、カンムリや、ヘンを取り去ると、「東大寺」が登場すると…、有名な戯言でした。

さて、毘沙門天のお言葉です。

「できるまでやれ! 為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり やればできる!きっとできる!」

さすがバトルモードの毘沙門天!元気をいただきました!

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