桃源郷(前編)-春講日記(12)

陶淵明(とうえんめい)の『桃花源記』(とうかげんのき)に書かれたユートピアです。「とうげんきょう」と読みます。

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冒頭です。

晋太元中、武陵人捕魚為業。縁溪行、忘路之遠近。

こんなふうに書き下します。

晋の太元中、武陵の人、魚を捕らふるを業と為す。溪に縁りて行き、路之遠近を忘る。

こんな意味です。

谷川に沿って山中に進み、深山幽谷に入り込んでしまった漁師がいた。
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隠れ里神話というそうです。世界中にバリエーションがあるそうです。

人里離れた理想郷、現実逃避のプチトリップに、もってこいかもしれません。

かつて「桃源郷」と言われた塾がありました。N盆地の西を南北に縦断する、Y丘陵の山中にありました。

きっちり年三回ばらまくチラシと、塾長が忘れなければ掲載された電話帳広告が、数少ないPRでした。

チラシといっても塾名と、電話番号と、前年度卒業生の在籍番号と合格校が書かれただけのものでした。

塾長は講師の授業を、黒板横で見ているだけでした。授業をかみ砕いたり、チャチャをいれたり、ボケッと聞いている生徒を叱りつけたり、そんなことばかりしていました。

授業がエクセレントなわけではありませんでした。普通の授業でした。

テキストも然り。普通の塾用教材でした。

カリキュラムはありませんでした。「どんどん進む」というだけでした。

テストも出来合いのものでした。○○進学教室××特訓コース・専従チーム特製△△合否判定・実力錬成テスト…などではありませんでした(笑)。

それでも不思議なことに、たま~に退塾者が出て、追加募集がかかると、競争率100倍の入塾希望者が殺到しました。

不思議のあまり「進学塾・桃源郷」と呼ばれたのです。

さてさて、少なからぬ数の業界人が、この秘密に気づいていました。

「桃源郷」が、人々に支持された理由です。

(後編に続く)

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦