塚-冬講日記(38)

纒向をウロウロしております。ホケノ山古墳から渋谷向山古墳(景行陵)に、山辺道沿いを歩きます。何度歩いても、飽きません。

国道169号を大きく西に超えて、箸墓や纒向小学校付近の墳丘墓を回ることも多いですが、そのままスタコラ歩くことも多いです。

ターニングポイントは「日本一たいやき」かもしれません。169号沿いに、大きなたいやき看板ですね。「いかんいかん、太るからイカン!」と思っても、足が勝手にたいやきに向かってしまいます。小生、敢えて天然の摂理に抗うことをいたしません(笑)。

たいやき方面に迂回しなければ、箸中の小規模古墳群を通過します。おそらく3世紀代の小さな古墳たちです。

顔見知りのお百姓さんと、いつもの会話です。

「おじさ~ん!この古墳は、なんという名前ですか?」

「そ…そりゃあなぁ…、(しばらく沈黙)…、馬塚っちゅうじゃあ!」

「なんで馬塚なんですか?」

「馬が死んだら、捨てたじゃあ!」

「あの古墳は、なんていうんですか?」

「あ…ありゃあなぁ…、(しばらく沈黙)…、牛塚っちゅうじゃあ!」

「なんで牛塚ですか?…(だいたいわかるけど…)」

「牛が死んだら、捨てたじゃあ!」(←やっぱり(笑))

「南に5分ほどの、大きな古墳は何ですか?」

「(急に真面目になって…)、胞衣(えな)塚、呼んどる。産褥の塚や。感謝して清めい!」

たかが地元民の迷信と笑うことなかれ。いろんな塚に、いろんな物語して、大事に守ってきたのです。

古墳は堅かった。段築・版築・埴輪工法のおかげだ。…教科書的にまちがいではないでしょうが、守り伝える人々あってこその「古き良きもの」でしょう。

しばしば忘れがちな真実を呼び起こしてくださるお百姓さんに、感謝しています。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦