夏講日記(その13)-留め置かまし 大和魂-

「中入三訓」について、ご質問いただきました。小生の夏講日記を、熱心にお読みいただいている方からの質問です。

「逃げない、放らない、ウソつかない」。ぶっきらぼうにも、昨日スローガンだけ書かせていただいたものです。

まず、勉強から逃げてはいけません。逃げようと思うだけでもいけません。逃げようと後ろを向いただけで、アウトです。

しょせん逃げる勉強でしたら、そもそも始めなければよいのです。中途半端はいけません。やり始めたら最後まで、逃げずにやり通すべきです。

次です。眼前の課題を放り出してはいけません。この問題、あの問題を解こうと思ったのも何かの縁、さっさと放り出すのでしたら、解き出してはいけません。設問に対して失礼です。

最後に一番大切なことです。

ウソをついてはいけません。わからないことを解ると言ったり、できないことをできると言ったり、逆に、わかることを解らないと言ったり、できることをできないと言ったり…すべてダメです。

わからないことが解るようになり、できないことができるようになる、これこそが勉強です。

何が解らないから勉強するのか、何ができないから勉強するのか、これら勉強の「そもそも」が、歪められたり虚飾されたりしたら、勉強が始まらないのです。

勉強のお手伝いをすることに喜びを感じる私たちは、途方にくれます。

勉強の成果が思ったほどに上がらないから、勉強する皆さんは勉強が嫌になってきます。

膨大な時間、膨大なお金が無駄になります。

そうならないための第一歩、これこそが「ウソをつかない」ことなのです。

「三訓」あり。入室テスト無し。「三訓」違反に罰則あり。

今も昔と変わらぬ、中入部屋のスタイルです。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その12)-留め置かまし 大和魂-

久しぶりに昔の「中入部屋」で授業しました。2年3ヶ月ぶりです。

諸事情ありまして、「中入部屋」が玄関脇に出てきてから、102教室の大部屋に、小生は仁王立ちしていたことになります。

懐かしさコミアゲてきて、うれしくて、うれしくて、とにかくうれしかったです。

勢い余って、昔物語など思い出しました。

「中学入試の部屋」、略称「中入部屋」が、初めての中学受験生を送り出したのが平成15年度入試でした。

まだこの頃には、「部屋」と呼びうるハコモノもハッキリとはせず、文字通り「さまよえる」教室でした。

平成16年度入試の受験生を送り出したころから、だんだんと体裁が整い、「中入部屋」といえば、ああ!あそこ!と、組織内的には一応の認知を得たように記憶しています。

中学入試専門って打ち出しが、これまた組織内的には全く初めてで、塾ひしめく地域的にも、当時極めて珍しかったようです。

加えてしつこいですが、組織内的にはハイソで上品な授業スタイルが一般的であったにもかかわらず、やたらと声が大きかったり、時に怒号が飛び交ったり、たまには叱責されて泣いている生徒がいたり、ウソついて坊主刈りになる生徒がいたり…と、特異な集団であったろうと思います。

平成17年度入試で初めての最難関合格を克ち取り、しかも東大寺学園だったもので、そののち例年のようにこの傾向が続いてきました。

しかしながら思い返すに、我々は入試実績を上げることを第一義的な目標とする集団ではなかったとおもいます。

俗に中入三訓と言います。「逃げない、放らない、ウソつかない」。これだけのみ墨守していた我々は、いつのまにか、結果として、たまたま栄冠を克ち取ってきただけに過ぎないのではないでしょうか。

こんなこと言いますと、「かっこ良すぎます!」と、たしなめられることが多いですが、事実はありのままにしか書き表せません。

さりながら、小生も齢重ねて、まあるい親父になってきたようで、夏合宿を手伝ってくれる卒業生スタッフには、「昔の杉浦先生は、恐ろしかった。」「トイレで寝ていて、ドアをけり破られたことがある。」「ドアが直撃して気絶していたら、さっさと起きて(ドアを)直さんかいと、更に叱られた。」「約束を破ったら、潔く坊主刈りになって行き、玄関に土下座して挨拶するモノだった。」などと、若者たちをビビらす者もいます。

若者たちは今の小生の姿からは想像もできないようで、多少混乱しているようです。

ともあれ、時の流れが止まったかのような部屋に、久々に小生の解説がこだましました。

至福の時でした。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その12)-留め置かまし 大和魂-

久しぶりに昔の「中入部屋」で授業しました。2年3ヶ月ぶりです。

諸事情ありまして、「中入部屋」が玄関脇に出てきてから、102教室の大部屋に、小生は仁王立ちしていたことになります。

懐かしさコミアゲてきて、うれしくて、うれしくて、とにかくうれしかったです。

勢い余って、昔物語など思い出しました。

「中学入試の部屋」、略称「中入部屋」が、初めての中学受験生を送り出したのが平成15年度入試でした。

まだこの頃には、「部屋」と呼びうるハコモノもハッキリとはせず、文字通り「さまよえる」教室でした。

平成16年度入試の受験生を送り出したころから、だんだんと体裁が整い、「中入部屋」といえば、ああ!あそこ!と、組織内的には一応の認知を得たように記憶しています。

中学入試専門って打ち出しが、これまた組織内的には全く初めてで、塾ひしめく地域的にも、当時極めて珍しかったようです。

加えてしつこいですが、組織内的にはハイソで上品な授業スタイルが一般的であったにもかかわらず、やたらと声が大きかったり、時に怒号が飛び交ったり、たまには叱責されて泣いている生徒がいたり、ウソついて坊主刈りになる生徒がいたり…と、特異な集団であったろうと思います。

平成17年度入試で初めての最難関合格を克ち取り、しかも東大寺学園だったもので、そののち例年のようにこの傾向が続いてきました。

しかしながら思い返すに、我々は入試実績を上げることを第一義的な目標とする集団ではなかったとおもいます。

俗に中入三訓と言います。「逃げない、放らない、ウソつかない」。これだけのみ墨守していた我々は、いつのまにか、結果として、たまたま栄冠を克ち取ってきただけに過ぎないのではないでしょうか。

こんなこと言いますと、「かっこ良すぎます!」と、たしなめられることが多いですが、事実はありのままにしか書き表せません。

さりながら、小生も齢重ねて、まあるい親父になってきたようで、夏合宿を手伝ってくれる卒業生スタッフには、「昔の杉浦先生は、恐ろしかった。」「トイレで寝ていて、ドアをけり破られたことがある。」「ドアが直撃して気絶していたら、さっさと起きて(ドアを)直さんかいと、更に叱られた。」「約束を破ったら、潔く坊主刈りになって行き、玄関に土下座して挨拶するモノだった。」などと、若者たちをビビらす者もいます。

若者たちは今の小生の姿からは想像もできないようで、多少混乱しているようです。

ともあれ、時の流れが止まったかのような部屋に、久々に小生の解説がこだましました。

至福の時でした。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その11)-留め置かまし 大和魂-

一瞬、何をしゃべっていたのか、わからなくなる時があります。頭が真っ白になるってやつです。

若い頃、機関銃のようにしゃべっていた頃には、本当に頻繁にありましたが、最近少なくなってきましたのは、落ち着いてしゃべるようになってきたからでしょうか。

頭が真っ白になっているばかりでは、授業が前に進みません。いつしか、そうならないように、防衛努力をし始めた小生です。

どうしたかと言いますと、直近に話していた話題を、代表的な単語で覚えておくようにしたのです。

今日の授業でもこんなことがありました。

古文を熱心に勉強していた生徒と、『平家物語』のネタ話に、源平争乱時、東大寺大仏殿が焼け落ちた話に及びました。焼け落ちと言えば戦国期にもあって、有名な松永弾正が焼き払った、松永弾正と言えば聖武陵古墳に多聞城を造った人物だが、帝陵に城塞とは…と驚くなかれ、その前には眉間寺というお寺が建っていた、眉間寺とは奇妙な名前であるが、眉間ビームを発する怪しい仏が祀られたので…と、とどまるところを知らなければ知らないほど、話が元へ戻らなくなっていくのです。

あれこれしゃべりながら、頃合いを判断するに、そもそも『平家物語』から始まったお話なので、「そうして結局、諸行無常というわけやね。焼け落ちた大仏は、祇園精舎の鐘を聞いたんだろうかね?」と、落としどころはまさにここ…です。

そもそもの話初めが、『平家物語』だったと覚えておいてよかったです。安心して元の地点に帰ることができますものね。

頭真っ白対策、皆さんのお役にたちますでしょうか。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その11)-留め置かまし 大和魂-

一瞬、何をしゃべっていたのか、わからなくなる時があります。頭が真っ白になるってやつです。

若い頃、機関銃のようにしゃべっていた頃には、本当に頻繁にありましたが、最近少なくなってきましたのは、落ち着いてしゃべるようになってきたからでしょうか。

頭が真っ白になっているばかりでは、授業が前に進みません。いつしか、そうならないように、防衛努力をし始めた小生です。

どうしたかと言いますと、直近に話していた話題を、代表的な単語で覚えておくようにしたのです。

今日の授業でもこんなことがありました。

古文を熱心に勉強していた生徒と、『平家物語』のネタ話に、源平争乱時、東大寺大仏殿が焼け落ちた話に及びました。焼け落ちと言えば戦国期にもあって、有名な松永弾正が焼き払った、松永弾正と言えば聖武陵古墳に多聞城を造った人物だが、帝陵に城塞とは…と驚くなかれ、その前には眉間寺というお寺が建っていた、眉間寺とは奇妙な名前であるが、眉間ビームを発する怪しい仏が祀られたので…と、とどまるところを知らなければ知らないほど、話が元へ戻らなくなっていくのです。

あれこれしゃべりながら、頃合いを判断するに、そもそも『平家物語』から始まったお話なので、「そうして結局、諸行無常というわけやね。焼け落ちた大仏は、祇園精舎の鐘を聞いたんだろうかね?」と、落としどころはまさにここ…です。

そもそもの話初めが、『平家物語』だったと覚えておいてよかったです。安心して元の地点に帰ることができますものね。

頭真っ白対策、皆さんのお役にたちますでしょうか。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その10)-留め置かまし 大和魂-

教えるときに心がけていることが、いくつかあります。

その壱。丁寧に教えること。

できないから、できるようになりたいと、人は勉強します。わからないから、わかるようになりたいと、人は勉強します。

教える者は、できるようになってほしい、わかってほしいと願い、丁寧に教えなくてはなりません。まちがっても、ぞんざいに教えてはなりません。

その弐。健全に教えること。

学びたいという欲求は、心の底から湧きあがるものです。エサが無ければ走らない、不埒な競走馬のようでは困ります。

教える者は、不用意なニンジンを目の前にぶら下げてはなりません。不健全な衝動を、起こさせてはならないのです。

できるようになりたいという欲求を呼び起こすこと、それが一番大事なことかもしれません。

その参。共感を持って教えること。

お医者さんが患者さんに、こんなことを言い出したら、ちょっと怖いですね。

「苦しいですか?つらいですか?…私は苦しくも辛くもありません。苦しいのも辛いのも、所詮あなたのことですよね。私には関係ありません。ですから、この治療はきっと恐るべきものになるでしょう。」

教える者もいっしょです。こんなこと言いだしてはいけません。

その肆。誉めること。

すばらしい!と思ったら、正直に誉めます。

誉められてうれしいから…と、さらに精進してくれることを願っています。

その伍。叱ること。

まちがっている!と思ったら、躊躇なく叱ります。

叱られてこそ直ることも、たくさんあるからです。

今日も五ヶ条復唱して、朝からしっかり頑張ります。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その10)-留め置かまし 大和魂-

教えるときに心がけていることが、いくつかあります。

その壱。丁寧に教えること。

できないから、できるようになりたいと、人は勉強します。わからないから、わかるようになりたいと、人は勉強します。

教える者は、できるようになってほしい、わかってほしいと願い、丁寧に教えなくてはなりません。まちがっても、ぞんざいに教えてはなりません。

その弐。健全に教えること。

学びたいという欲求は、心の底から湧きあがるものです。エサが無ければ走らない、不埒な競走馬のようでは困ります。

教える者は、不用意なニンジンを目の前にぶら下げてはなりません。不健全な衝動を、起こさせてはならないのです。

できるようになりたいという欲求を呼び起こすこと、それが一番大事なことかもしれません。

その参。共感を持って教えること。

お医者さんが患者さんに、こんなことを言い出したら、ちょっと怖いですね。

「苦しいですか?つらいですか?…私は苦しくも辛くもありません。苦しいのも辛いのも、所詮あなたのことですよね。私には関係ありません。ですから、この治療はきっと恐るべきものになるでしょう。」

教える者もいっしょです。こんなこと言いだしてはいけません。

その肆。誉めること。

すばらしい!と思ったら、正直に誉めます。

誉められてうれしいから…と、さらに精進してくれることを願っています。

その伍。叱ること。

まちがっている!と思ったら、躊躇なく叱ります。

叱られてこそ直ることも、たくさんあるからです。

今日も五ヶ条復唱して、朝からしっかり頑張ります。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その9)-留め置かまし 大和魂-

「夏休みは二面的なものである…(以下余白)」。

こんなふうに書き殴ったまま放置しておくと、かっこいい哲学書の一丁上がり…でしょうか。

ところがきっとこのブログでは、一丁上がりませんでしょう。何を書いているのか、説明せねばなりません。

「夏休みは楽しそうだから待ち遠しい、しかし宿題どっさり出されそうでいやだな」。

「夏休みには思う存分勉強できて幸せに違いない、しかし勉強だけってのもなんだしなぁ」。

「夏休みは6週間もあるんだから、1週間くらい放浪の旅に出たろうか、いや2週間かけて日本一周したろうか、いっそのこと4週間使って世界一周して見よか、しかししかし、勉強ペースが独り遅れて、浦島太郎ってのもなぁ」。

二面性はどっちつかずそのものです。あれこれ言っているだけで時が経ちます。

その反面、二面性は余裕の裏返しです。入試直前にできるこっちゃありません。

さてさて望むと望まざるとにかかわらず、否応なく二面的であるならば、いっそのこと二面性を楽しんでみてはいかがでしょうか。

待ち遠しく思うのも冒険、宿題どっさりも冒険、初めての経験ならなお一層、どっちもやってみて総括を楽しんでみては如何。

思う存分勉強しても、勉強が呼吸にとって代わるわけじゃあるまいし、勉強以外に手を出せるものが、きっと一つはあるでしょう。勉強して、他にも何かやって、食事して、お風呂に入って、睡眠とって…。忙しい毎日に乾杯!。

浦島太郎の時計はゆっくり進んだようですね。時計が進むのを忘れるほどに熱心に、大空を羽ばたくように旅行できたらそれでよし。現世が懐かしくなったら、玉手箱を開けてみましょう。白い煙がもくもくと上がり…、時計の針だけ早回しで回ります。

要するに、あれこれ心配している暇があったら、まず、おやりなさい!

立ちすくんでいるだけでは、何も始まりませんよ!

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦