春講日記(その13)-久方の光のどけき-

明日香村にて、ウォーキングしてきました。ずっと雨降りで、珍しく一人、黙々と歩きましたので、ついつい歩きすぎたかもしれません。

まず朝風峠から稲渕へ。いつ来ても涼しいです。真冬だと寒いです。この季節くらいがちょうどいいですね。

ずっと気になっていたのですが、もうすぐ貝吹山がハッキリ見えてくるあたり、峠から見渡す南面(稲渕の逆方向です)、人工的に削平されたテラスが目立つんですね。棚田だったのかな?程度に思っていましたが、昨日は何ヶ所か降りてみてテラスに立ってみました。グラッといくと転落しますので、用心用心。

瓦の破片が、けっこう散乱しています。立部集落の定林寺跡みたいです。「朝風廃寺跡」と勝手に名づけました。文献に照らして…残念、記憶にないですね。しかし竹野王が稲渕に一字を建立したことも、平城京の長屋王木簡から跡づけられたのですから、まず文献ありき…ではなかろうかとも思います。

石舞台でイベントしてました。…が、雨で振るわず。土曜日は賑わっていたことでしょう。

岡寺参道入り口に抜けまして、cafe「ことだま」さんが移転してきてることに気づきました。二週間前、飛鳥ウォーキングした際、西飛鳥から消えていて驚きましたが、移転してきてもう一度驚きました。仲の良いご夫婦が切り盛りしておられるお店です。

野口駐車場に戻りつつ、旧飛鳥小学校や、甘樫丘など、ひととおり踏破して、久しぶりに畑道から野口王墓へ。天武・持統合葬陵です。

宮内庁の柵まわりをぐるっと一周できます。ちょうど真裏あたり。八角墳の墳丘が、気になって気になってしかたなかったです。

どう見ても墳土が減って、石室石が一つ飛び出してきているように見える部分があります。

このまま側壁石が飛び出したら、玄室に横から入れてしまうよね、忌々しきことだよね、けれど直すにはどうするのかな?もういちど押し込むのかな?組石のバランスが崩れているだろうに、押し込めるのかな?…ぶつぶつと、要らぬ心配をしておりました。

天武・持統陵は、もともと見瀬丸山古墳に治定されていました。鎌倉時代に書かれた盗掘記が見つかって、治定され直したといういきさつがあります。丸山古墳は、はるか明治期、ガーラントのころから開口していましたので、小生雨に歩き疲れて、野口王墓に幻視したのでしょう。

さて、体力もついたことですし、今週も張り切って参りたいと思います。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦