衝-冬講日記(4)

人を勉強に向かわせるもの、それは人の心のありようです。

「モチベーション」といいますと、なにやら格好良すぎますから、私は「衝動」と称しております。

衝動さえあれば、どんな衝動でも、勉強という実行行為に役立つ度合いに大差ないであろうと、長い間漠然と考えてきましたが、どうやらまちがいであることがわかってきました。

観察と検証を繰り返してみましたら、衝動には三種類あることがわかったのです。

まず、最低限持つべき衝動。「勉強せざるを得ない」と覚悟すること、少なくともそこまで追い込まれることです。

次に、多くの皆さんが標準的に感じている衝動。「勉強ができるようになりたい」とか、「勉強ができると、とてつもなく嬉しい」と明るい希望を持つこと、少なくともその方向のベクトルを持つことです。

最後に、望みうる最上級の衝動。「将来の野望を実現するレールは、勉強に敷きつめられている」と悟ること、少なくともその自覚に満ちることです。

これらは純然とグレードが異なる衝動であり、より高い次元の衝動が、より深い行動原理を形成するものです。

少し難しかったでしょうか。簡単に要約しますね。

「勉強せなあかんと思わんかたら、勉強できんの、あたりまえやね。やらされてするより、自分のためにしいや。そのほうが上達するで」。

な~んだ、初めから簡単に言ってくださいよ!ってな皆さん、心のグレードが低いです。少し難しいことを言われても、飛び上がって飛びつく気概を持ちましょう。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

衝-冬講日記(4)

人を勉強に向かわせるもの、それは人の心のありようです。

「モチベーション」といいますと、なにやら格好良すぎますから、私は「衝動」と称しております。

衝動さえあれば、どんな衝動でも、勉強という実行行為に役立つ度合いに大差ないであろうと、長い間漠然と考えてきましたが、どうやらまちがいであることがわかってきました。

観察と検証を繰り返してみましたら、衝動には三種類あることがわかったのです。

まず、最低限持つべき衝動。「勉強せざるを得ない」と覚悟すること、少なくともそこまで追い込まれることです。

次に、多くの皆さんが標準的に感じている衝動。「勉強ができるようになりたい」とか、「勉強ができると、とてつもなく嬉しい」と明るい希望を持つこと、少なくともその方向のベクトルを持つことです。

最後に、望みうる最上級の衝動。「将来の野望を実現するレールは、勉強に敷きつめられている」と悟ること、少なくともその自覚に満ちることです。

これらは純然とグレードが異なる衝動であり、より高い次元の衝動が、より深い行動原理を形成するものです。

少し難しかったでしょうか。簡単に要約しますね。

「勉強せなあかんと思わんかたら、勉強できんの、あたりまえやね。やらされてするより、自分のためにしいや。そのほうが上達するで」。

な~んだ、初めから簡単に言ってくださいよ!ってな皆さん、心のグレードが低いです。少し難しいことを言われても、飛び上がって飛びつく気概を持ちましょう。

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学園前教室・杉浦

解-冬講日記(3)

「解けないのは、なぜですか?」と、しばしば聞かれます。「わかってるハズなんですけど…」と、つけ足されます。

確かにそうですね。わかってなければ、解けません。はい、異論なしです。

しかしながら、一点異議あり。わかってるからといって、解けるとは限りません。これもまた、真実です。

何が足らないのでしょうか。正確に発しますと、何が足らないから、わかっていても解けないのでしょうか。

足らないもの、それは修行です。

修行と言いましても、断食や滝行ではありません(笑)。もちろん、そんな荒行ではなく、解けるようになるための演習と、まちがい直しのことです。

サボったり、わざと避けたり、演習と向き合うことから逃げますと、せっかくわかっても、できずに終わります。

加えるに、冒頭の疑問を呈する方の多くが、そのことを無理解であったり、理解していても優先度が低かったりしていることも気になります。

ともあれ、わかるためにはわかるための努力が、できるためにはできるための努力が必要です。

努力を惜しまずに、がんばりましょう。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

解-冬講日記(3)

「解けないのは、なぜですか?」と、しばしば聞かれます。「わかってるハズなんですけど…」と、つけ足されます。

確かにそうですね。わかってなければ、解けません。はい、異論なしです。

しかしながら、一点異議あり。わかってるからといって、解けるとは限りません。これもまた、真実です。

何が足らないのでしょうか。正確に発しますと、何が足らないから、わかっていても解けないのでしょうか。

足らないもの、それは修行です。

修行と言いましても、断食や滝行ではありません(笑)。もちろん、そんな荒行ではなく、解けるようになるための演習と、まちがい直しのことです。

サボったり、わざと避けたり、演習と向き合うことから逃げますと、せっかくわかっても、できずに終わります。

加えるに、冒頭の疑問を呈する方の多くが、そのことを無理解であったり、理解していても優先度が低かったりしていることも気になります。

ともあれ、わかるためにはわかるための努力が、できるためにはできるための努力が必要です。

努力を惜しまずに、がんばりましょう。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

師走

奈良・高の原教室の飯尾です。
本日から12月になりました。

当塾としても、今月は
定期テスト対策、生徒・保護者様との懇談会、冬期講習・・・
等々、イベント盛り沢山です。

なるほど、学校や塾の教師が走り回るほど忙しいから
師走なのかと思っていましたが、よくよく調べてみると、
「師」とはお寺のお坊さんの事だったのですね。
仏事で忙しく走り回っていたからの様です。

個人的には体調に気を付けて、この師走を乗り切りたいと思います。

師走

奈良・高の原教室の飯尾です。
本日から12月になりました。

当塾としても、今月は
定期テスト対策、生徒・保護者様との懇談会、冬期講習・・・
等々、イベント盛り沢山です。

なるほど、学校や塾の教師が走り回るほど忙しいから
師走なのかと思っていましたが、よくよく調べてみると、
「師」とはお寺のお坊さんの事だったのですね。
仏事で忙しく走り回っていたからの様です。

個人的には体調に気を付けて、この師走を乗り切りたいと思います。

学-冬講日記(2)

学ぶことは「真似ぶ」(まねぶ)ことだったそうです。

真似しているうちに自然とできるようになってしまうこと、これこそが本来「学ぶ」ことに他なりませんした。

ですから「教える」こととは、真似しやすいようにお手本を示すことです。

近代的な教授法に引きつけていえば、「例題」がお手本です。しっかり真似して「演習問題」が解けるようになると、ひと仕事終了です。

こんなわけで「学ぶ」ことは、修行そのものです。少しサボると忘れてしまって、できなくなってしまうのは、そのせいですね。

多くの皆さんが、しっかり修行されていることと思いますが、まれにグータラさんが発見されます。

グータラさんは、修行するふりをして指導者に解かせて、正解だけチャッカリいただいてしまおうなどとしています。

ちょっとした気の迷いでしたら、生き直しましょう。

確信犯でしたら…はい、丸刈りにして出直しましょうね(笑)。

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