郷-冬講日記(28)

久しぶりですね。坂上郎女嬢に、唸っていただきましょう。『万葉集』からです

故郷(ふるさと)の 飛鳥はあれど あをによし 奈良の明日香を 見らくしゆしも

奈良ホテルから、道を挟んでほぼ真向いあたり、タイ料理をいただいて、背後の奥山に遊んでおりますと、ここらあたりは平城京の飛鳥だ…と書かれております。何のこっちゃ?と、不思議に思っておりましたが、最近納得いたしました。

明日香の飛鳥寺から、建材を運んできて、元興寺を組み立てた。だから人々は、元興寺界隈に、飛鳥寺と明日香の面影を見たのだと。

郎女嬢も、きっと同じ感覚でいらっしゃったのでしょう。

人は引っ越ししても、引っ越し先に郷を探すものだと。

小生も正月休みを利用して、西三河の郷に少しだけ帰っておりましたが、小生不思議なことに、三河に大和を見ることがありません。大和どころか、磯城(しき)も、磐余(いわれ)も、飛鳥も、添(そふ)も、葛城も、忍海(おしみ)も、普段歩いておりますアチャコチャを、郷に見ることがないのです。

なんでだろう?と、しばし小考、人生の三分の二を関西で過ごしましたから、こちらが小生の郷になってしまったからだろうと、ひとり大きくうなずいてしまいました。

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