てくてく-春講日記(7)

久しぶりに高取山に登ってきました。高取城跡です。

奥飛鳥・栢森の雌綱横から、ずんずんと進んでいきます。

登りばかりで、下りがありません。比高差400mを、一気に登ります。

崩れた石垣が見えてきたら、もう既に城域です。…が、ここからが長いです(笑)。

さすが、西国監視の拠点、禁裏が武士団を扇動して東国を目指しても、この城をおいそれと通過できませんね。城から一気に下られて、殲滅されます。

かといって、攻めるにしても、登るだけで大変です。

徳川三百年を通して、譜代・植村一族が守りました。

大手道が大きく右カーブ→左カーブで本丸へ。どんな城でも、大手道が曲がるときは、必ずこんな具合です。

なんでかな?…と、ガイドさんを頼むと必ず聞かれます。

ヒントは、弓とか槍とか、およそ武士の武器たるもの、右手を利き腕に扱うことです。

そうですね。大手道を曲がると、攻める側が守備隊に対して、左正面になりますでしょ。これでは武器が使えません。

その間に守備隊が攻撃すると、…こんなわけですね。

ともあれ、明治20年ごろまで、破却もされずに建っていたという高取城、あまりの湿気に自然と朽ち果てたと言われています。

総歩数33000歩、総距離26km、運動不足解消な一日でした。

石川数学塾大阪
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