夏講日記(その28)-留め置かまし 大和魂-

急に寂しくなって、悲しくなって、さめざめと泣けてくることがあります。一年に一度、必ずあります。

夏合宿最終日、正午ごろに研修会館さんを出発し、初日の集合場所、橿原神宮駅東口まで歩きます。

水分補給したり、木かげで休んだり、ゲリラ雷雨と戦ったりしながら、意気揚々と引き揚げます。

改札口に引き込まれる生徒を見送り、お迎えの車に乗り込む生徒に檄を飛ばし、ご父母と親しくお話し申し上げ、いよいよ誰もいなくなったとき、さまざまなことが頭をよぎります。

毎年真っ先に思いを致すのは、遅くとも合宿最終日の早朝までに感じた秋の風です。

合宿の熱気にほだされているうちは、「夏が終わるはずがない」、「秋になるはずがない」と、固く信じています。

誰もいなくなって、いよいよ冷静に風を感じざるをえなくなったとき、秋がそこまで来ていることに驚きを禁じえません。

何とも言えない違和感に、思わずボ~っとしていると、合宿の一場面一場面が、スクリーンショットのように、浮かんでは消えていきます。

切り出されたどの映像にも、真剣そのものな生徒たちの顔が焼きついています。

最後に大映しになりますところ、コーナーポストに置かれた椅子に、ヘタレ込むように座っている「矢吹ジョー」…にあらず、「ジョー」のように、真っ白な灰になってしまったかのような、小生自身であります。

「立て!立つんだ!オレ~!」

丹下段平に気合いを入れてもらうしかないと、思うか思わないかの刹那、スローモーションのように歩き出す小生がいます。

なんだかわからないですが、つい先ほどまで教室で演じていた閻魔大王の雄々しさなど微塵もなくなり、あふれる涙をぬぐっております。

ここ数年は、卒業生スタッフが小生を心配して、道中つきそってくれるようになりました。

時の流れが小生を、ずいぶん優しい男にしてしまったのかもしれません。

いかに優しくなろうとも、夏合宿という、あの灼熱のるつぼに、わが身を預けたいという、燃える想いに変わりはありません。

小生、早くも来合宿を期して、体力作りを再開します。

いかに苦しくても、どれだけ悲しくても、他に代えがたい頂点を、もう一度制圧するために。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

今週より夏期講習も後半戦に突入です。

お盆が過ぎて、夏休みも残り僅か。宿題のやり残しや課題考査に向けて、一気にラストスパートに突入といった感じですかね?

 

甲子園では久しぶりにスターが登場し盛り上がっているようですが、石川数学塾大阪の各教室も熱く解り安い指導で残りの講習を盛り上げていきますので、「今からじゃ間に合わない」とか「いろいろ忙しい」とかできない理由ばかり並べていないでやるべき事をやりきりましょう。

 

石川数学塾大阪の夏期講習は通常授業と同じく、生徒一人ひとりの習熟度やスケジュールに合わせて、カリキュラムの内容や受講の日時・回数が決められます。

ですからきっと、あなたに合うスケジュールが見つけられると思いますよ。

 

みなさんのご参加をお待ちしています。

上本町教室 中土井

夏講日記(その27)-「閻魔大王」から激励のメッセージ-

閻魔大王から杉浦に、激励のメッセージが届きました。

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拝啓 杉浦先生

今年も夏合宿、ご苦労様。準備にたっぷり数か月、毎日曜に明日香村、突入したら(ほとんど)不眠不休、高らかにアジテーション、しかしながら精緻な運営、クライマックス・メインイベントに閻魔登場、心にくい演出、本当にありがとう。

「感動は生まれるものと違う、造り出すものだ」。我が国始まりの地=飛鳥に、再び集う盟約が、自らを鍛え、入試を勝ち抜き、解脱・涅槃を目指すモチベーションだと…諒解した。さもありなん。

「非日常的理想は、日常的現実抜きに造られ得ない」。寝室の隣が教室で、食堂まで歩いて3秒、お風呂まで歩いて10秒。なるほど、ありえないほどの理想三昧。しかし三食キッチリ食う。目覚ましに体操する。気分転換に散歩する。純粋培養とほど遠い現実に立脚してこそ、真の集中力だと…諒解した。合宿後に役立つ毎日だな。

「人格的薫陶無しに、学力無し」。厳しくもあたたかい卒業生スタッフを見るにつけ、おぬしの努力を知る思いだ。教育とは人間を変えること、人間が変わって学力が変わること、学力が変わって善く生きることだと…諒解した。良い弟子を持ったな。

来週には明日香村の関係先にあいさつ回り、来期に向けて体力増強トレーニングだそうだな。修行僧のようだと…止めても聞かないだろうな、おぬしのことだからな。

閻魔がおぬしを助けはじめて6年経ったな。一年ごとに、生徒の成長が楽しみだ。もう1年、生徒を鍛えよ。来年も、おぬしとおぬしの生徒に会えることを楽しみにしておるぞ。体をいとえ。そして大いに働け。がむしゃらにな。

敬具

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その26)-行ってまいります!-

石川数学塾大阪・学園前教室主催の夏期合宿、一年で最も暑いお盆の期間中、奈良県で最も暑い明日香村に、今年も多数のご結集、誠にありがとうございます。

皆さまの合宿にかける思いがかなうよう、すばらしい合宿だったといつまでも記憶の片隅に残していただけるよう、スタッフ一同、身命を賭してがんばって参ります。

それでは、行ってまいります!

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その25)-今も裁き続ける「閻魔大王」からのメッセージ-

閻魔大王から連絡来たん、数年前やったかな。

杉浦くん、合宿ご苦労さん、お盆の最中、仕事も暇やし、手伝ったるわ…と。

そりゃあ、ありがたい!渡りに船っと、合宿最終日の総括、お願いしたわけや。

閻魔様といえば、冥界三十五日目の裁判官(四十九日目やありまへん)、泣く子も黙る仕置き人。

生徒もビビッて、がんばることやろうってことでんな。

最終日の午前を任せて四年になるけど、なかなかええ味出してくれとる。

「おのれ、どおゆうつもりじゃあ?」

あらら、また生徒泣かしとる…と思いきや、叱っとんのとちゃうねんな。

「こんなに、がんばったん、生まれて初めてやろ。偉い!」

なるほど、うれし泣きやったんや。たしかに誉められて泣いたん、生まれて初めてやろな。

さすが閻魔、義理人情に厚いやん。脱帽やね。

それでも、マジに叱られた奴もおった。

「もお2、3日、明日香村から出んでええで。」

これならまだしも、ホンマに飛鳥駅のベンチで勉強させられた生徒がおった。

良いことも、悪いことも、がんばったことも、サボったことも、閻魔がみんな見てるで。

正直に、やりきりや。

そうそう、閻魔さん、杉浦先生に化けるんがうまいんや。

楽しみに頑張りや。
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初めて聞くのに、おもしろく、初めて見るのに、懐かしい。

夏合宿四日目、狂瀾怒濤の閻魔劇場、開幕まで今年もあと一週間です。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その24)-今も闘い続ける「おじさん」からのメッセージ-

おじさんは既に「合宿ユニフォーム」で、夜の授業を行っている。Tシャツと半ズボン、機動性と通気性に優れた定番の仕事着だ。

今年もおじさんの雄叫びが聞こえてくる時期となった。雄叫びは遠吠えとなって、学園前教室に響き渡る。

さあ、耳をすましてみよう。ほら、聞こえてきただろう。

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合宿貫徹!闘争勝利!-今も闘い続ける「おじさん」からのメッセージ-

いよいよ夏期講習も、後半戦に突入する。合宿は後半の初戦である。まずは一勝、見事に克ち取ろう!

「戦争の時代」に生まれ、「戦争しか知らずに育った」世代を代表して、おじさんからの熱いメッセージだ!

合宿貫徹十か条。ゆめゆめ忘れることなかれ!

合宿所まで歩くことが、第一の闘いである。焦らなくてもよい。しかし、きっちり目を覚ませ!

勉強し続けることが、第二の闘いである。空回りしてはならぬ。地に足をつけて、ゴリゴリ進むのだ!

適度に休憩することが、第三の闘いである。休憩は爆発力を生むためにある!

自分のことは自分ですることが、第四の闘いである。人を頼るな、人のせいにするな。喜びも悲しみも、ただ君のためだけにしかないのだ!

疲れを癒すことが、第五の闘いである。大いに食って、湯あみせよ。生きる気力が湧いてくるぞ!

しっかり寝ることが、第六の闘いである。ぼっとした寝不足野郎は、勝利の女神から見放されるのだ!

早起きすることが、第七の闘いである。朝の一秒は、夜の一秒を以っては購えぬ。目覚めよ、さらば救われん!

おじさんと闘うことが、第八の闘いである。老闘士に引退の花道を。若き血潮のみが、それを為すのだ!

先輩に学ぶことが、第九の闘いである。偉大なる神を崇め、そして乗り越えよ。未来は若者のためにあるのだ!

閻魔を蹴散らすことが、最後の闘いである。多言を要すまい。全能の審判官に、己の生きざまを認めさせるのだ。勝利は君たちのものである!

合宿通算8回目、飛鳥に移って6回目、合宿は例年通り巨大な火の玉と化すであろう!おじさんは、先頭きって駆け抜けるぞ!諸君、遅れずに、ついてくるのだ!!!
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石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その23)-留め置かまし 大和魂-

「忘れたくても、忘れられない瞬間」が、確かにあります。多くの場合、うれしい瞬間です。

夏講を始めてから、何度かその瞬間に出くわしました。

傍目(はため)に見ますと、何を喜んでいるのか理解不能かもしれません。奇妙な光景に見えるかもしれません。

ありていに言いまして、その瞬間に、小生は多くの「目」に射抜かれているような錯覚を覚えるのです。

どんな「目」かと言いますと、解かろうとすることに没入し、解こうとすることに耽溺(たんでき)し、まるで一点を射抜こうとするかのように、焦点が定められた「目」です。

少なくとも一日に一回、この「目」にさせることが、モノを教える人間の役割だと、小生考えています。

何かのはずみに、眼前の生徒たち全員に、この「目」が備わることがあります。その迫力たるや、みなさんの想像に余りあるものです。

「目」の群集を人工的に作り出せないものか?…と、考えたことがあります。気合を入れてみたり、恐い顔をして問題を解いてみたり、いろいろやってみましたが、伝染病のように感染させることも、ドミノ倒しのように次々出現させることも、結局できませんでした。

もっともっと微妙な、小さな小さな偶然が、見事に整合した時、一分一秒たりとも、誰一人として真剣このうえない「目」たちと相対し、小生教育者冥利に尽きる、無上の喜びを感じることができるのだと思います。

今日また会えたから、明日もきっと会えるだろう。がんばったら、きっと会えるにちがいない。

そう思って明くる日を迎え、若草山に昇る朝日を拝すとき、喜びと感謝に満ち溢れます。

本日がすばらしい一日でありますように!

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦