あの頃のこと(その2)

もう5年ほど前になりますでしょうか。妻と連れだって、奈良ファミリーで夕食を。「どの店にしようか?」と、相談していた矢先、「先生、お久しぶりです!」、懐かしい元気な声に、おもわず振り返りました。20年ほど前に授業を担当したYさんでした。

「今日は先生にお会いできそうな気がしていたんですよ」と、これまた懐かしい声。Yさんのお母様も、いっしょにいらっしゃいました。三人で輪っかになりながら、「久しぶりの三者懇談ですね」。大声で笑ってしまいました。

「あれから、どうしてました?」。さっそく卒業後の足跡を聞く、せっかちな私です。「大教大平野に通していただいたのは…先生でしたよね。先生、私たち中3の担任しながら、たしか小6の担任もされて、超人とかって言われてましたでしょ。私と仲良かったMさん、先生、覚えてはります?高校、別々でしたけど、富山大の医学部、ご一緒させていただいて。私は今、産婦人科のお医者さんやってます。大阪の勤務医です」。私以上にせっかちですが、みごとに要点のみ、過不足なく答えるところが、さすがYさん、全然変わっていません。

「たしか、産科の先生って、どんどん減ってるんですよね。激務だからって」と、言うが早いか、反論も瞬時に返ってきます。「だからこその社会奉仕、社会貢献と存じてます。」いやはや、立派です。青は藍よりいでて、藍よりも青い…そうですが、焦げ茶色のドブ川のような小生の教室から、凛として美しい白鳥が飛び立ったような気がしました。

さて、さっきから気になっていたのですが、三人の車座を、ひたすらグルグル反時計回りにまわり続ける元気な坊やが一人。「先生、申し遅れました。息子のキョウタロウです」。「私にとっては、孫みたいなもんやね。おい、キョウタロウくん、元気ええなあ!」。

相好崩して、しっかりお爺ちゃん状態の私に、Yさんから衝撃的な話を聞こうとは夢にも思っていませんでした。

「先生、数学、理科、ご担当でしたよね。勉強しっかり教えていただきまして、ありがとうございました。」

(小生独白)…はい、胃に穴が開くほど、一生懸命やりました。

「けれど、教科内容は何も覚えていません。わかりやすい解説だってことだけ覚えています。」

(小生独白)…おいおい、物忘れ激しいんとちゃうか?

「先生が毎授業必ず言われたこと、忘れずに覚えています。京大に行け!、京大に行け!、京大に行って学問せえ!って。まさか、お忘れじゃありませんよね。私は残念ながら医学部に進学しましたので、京大や学問と縁がなかったかもしれません。しかし、息子には先生の夢をかなえてほしいと思いました。キョウタロウのキョウは、京大のキョウにしたんです。」

(しばし呆然としながら)…口癖程度のことだったのかもしれない。けれども幼い京太郎くんの人生を決める一言だったのかもしれない。小生も「先生」のハシクレなら、1秒たりとも忘れちゃいけないことだった。忘れがちなことでもある。再認識したい。

Yさん一族と別れたあと、横で聞いていた妻に、「すばらしい生徒を持った。私は幸せ者だ」と話しかけました。

「すばらしい先生だと思ってくれる、すばらしい生徒…ですね。あなたと同じくらい、幸せな…京太郎くん」。

「ありがとう。救われたよ」。私は妻に微笑みかけました。妻も微笑んでいました。(続く)

学園前教室・杉浦