束-夏講日記(その19)

三週間ほど前のことです。

西飛鳥から高取方面へ。途中で近鉄吉野線と別れて、高取国際高校方面へ。佐田集落の神社の境内に、束明神古墳があります。

最高級の終末期古墳です。草壁皇子の墓と、衆目の一致するところです。

人麻呂の挽歌が、万葉集にたくさんあります。それを根拠に「おそらくこのあたりであろう」と、古くから言われてきました。

集落の人々も、長く大切に守ってきましたが、明治維新以降、天皇陵治定→強制移住が常態化するにつけ、大切にしてきた墳墓を、泣く泣く攪乱したといいます。

天智・不改常典(改めざる常の典)以来、天皇の父親は天皇でなければなりませんでした。夭折ゆえに即位できなかった草壁は、その子・文武の即位を以って「岡宮天皇」を追贈されました。

束明神のすぐ真後ろに、やたら立派な「岡宮天皇陵」があります。別の神社の境内です。

ついでに見ておこうと歩いていましたら、お百姓さんに呼び止められました。

「束明神はんでっか?シシトウ、採ってきなはれ。ようけできました(笑)。」

「束明神はんでっか?ピーマン、採ってきなはれ。ようけできました(笑)。」

「束明神はんでっか?スイカ、採ってきなはれ。ようけできました。でかすぎて、無理でっか(笑)?」

古墳築造から千年以上、それでも束明神古墳がここにあることが、人々の誇りなのだと感じ入りました。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏(講)はこれから

奈良・高の原教室の飯尾です。
いよいよ明後日からは8月になりますね。

今月までは、終業式とは名ばかりの、学校の補習や合宿等で
登校する必要があった方も多いのではないでしょうか。

そういう方にとっては、来月からは真のお休み(^^;)になりますが、
こういった時にこそ、今までに消化しきれなかったところや復習、
今後の先取り学習をするには良い機会ですね。
当塾の夏期講習はこのような、事細かなご要望にお応えすべく、
日程・時間・参加回数を自由に選ぶことが可能です。

まだまだ募集しておりますので、お申し込みは各教室まで。

夏(講)はこれから

奈良・高の原教室の飯尾です。
いよいよ明後日からは8月になりますね。

今月までは、終業式とは名ばかりの、学校の補習や合宿等で
登校する必要があった方も多いのではないでしょうか。

そういう方にとっては、来月からは真のお休み(^^;)になりますが、
こういった時にこそ、今までに消化しきれなかったところや復習、
今後の先取り学習をするには良い機会ですね。
当塾の夏期講習はこのような、事細かなご要望にお応えすべく、
日程・時間・参加回数を自由に選ぶことが可能です。

まだまだ募集しておりますので、お申し込みは各教室まで。

さらに夏講日記、書いてます!

こんにちは。学園前教室の杉浦です。

さらに続けて、夏講日記書いています。

今週は七福神が完結し、いつものエッセイに戻っております。

福(福禄寿)-夏講日記(その13)
談-夏講日記(その14)
説-夏講日記(その15)
昔-夏講日記(その16)
夜-夏講日記(その17)
穀-夏講日記(その18)

なんとなく…、なんとなく…ですが、尚古的で耽美的な方向に行きかけて、いやはや「とうもろこし」が、現世に引き戻してくれたといったところです。

ありがとう!とうもろこし!

なお、ブログに直接飛ぶには、以下のリンクをお使いください。

http://blog.livedoor.jp/ishikawasugakujuku/archives/cat_910297.html

それでは、みなさん、また来週。元気にお会いいたしましょう!

石川数学塾大阪
学園前教室長・杉浦

さらに夏講日記、書いてます!

こんにちは。学園前教室の杉浦です。

さらに続けて、夏講日記書いています。

今週は七福神が完結し、いつものエッセイに戻っております。

福(福禄寿)-夏講日記(その13)
談-夏講日記(その14)
説-夏講日記(その15)
昔-夏講日記(その16)
夜-夏講日記(その17)
穀-夏講日記(その18)

なんとなく…、なんとなく…ですが、尚古的で耽美的な方向に行きかけて、いやはや「とうもろこし」が、現世に引き戻してくれたといったところです。

ありがとう!とうもろこし!

なお、ブログに直接飛ぶには、以下のリンクをお使いください。

http://blog.livedoor.jp/ishikawasugakujuku/archives/cat_910297.html

それでは、みなさん、また来週。元気にお会いいたしましょう!

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穀-夏講日記(その18)

とうもろこしを差し入れていただきました。さっそく塩茹でして食べました。

マイ中華鍋を持っているくらいですから、塩茹でもそつなくこなします。

「ゴッツイ顔つきからは、推し量れない」そうで、何やら複雑な心境です。

今回は「とうもろこしの塩茹で三ヶ条」をお届けします。普段小生が気をつけていることです。

まず、したごしらえ。<<皮を一枚残すこと>>。

ゆでている最中、粒の表面を保護できます。茹であがってから、ヒゲを取りやすくなります。皮の風味がほんのりと粒に乗り移って、何とも芳しくなります。

ちなみに皮は、熱いうちにちぎってください。熱いほうがちぎりやすいです。

次に、茹でている途中。塩加減は多少きつめで、<<落としぶたを忘れずに>>。とうもろこしに水がかぶりきっていなくても、まんべんなく熱が行き渡ります。

水が沸騰してからとうもろこしを入れて、弱火で15分、火を止めてから最後のポイントです。とうもろこしを<<いきなり出さずに、10分間ほど放っておきます>>。塩味が浸みわたって、とてもおいしく仕上がりますよ。

皆さんも一度、試してみてください。

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穀-夏講日記(その18)

とうもろこしを差し入れていただきました。さっそく塩茹でして食べました。

マイ中華鍋を持っているくらいですから、塩茹でもそつなくこなします。

「ゴッツイ顔つきからは、推し量れない」そうで、何やら複雑な心境です。

今回は「とうもろこしの塩茹で三ヶ条」をお届けします。普段小生が気をつけていることです。

まず、したごしらえ。<<皮を一枚残すこと>>。

ゆでている最中、粒の表面を保護できます。茹であがってから、ヒゲを取りやすくなります。皮の風味がほんのりと粒に乗り移って、何とも芳しくなります。

ちなみに皮は、熱いうちにちぎってください。熱いほうがちぎりやすいです。

次に、茹でている途中。塩加減は多少きつめで、<<落としぶたを忘れずに>>。とうもろこしに水がかぶりきっていなくても、まんべんなく熱が行き渡ります。

水が沸騰してからとうもろこしを入れて、弱火で15分、火を止めてから最後のポイントです。とうもろこしを<<いきなり出さずに、10分間ほど放っておきます>>。塩味が浸みわたって、とてもおいしく仕上がりますよ。

皆さんも一度、試してみてください。

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夜-夏講日記(その17)

やはりさびしがり屋なのでしょうか、夜のとばりが嫌いであります。

しんしんと静かな夜更けなど、できればご遠慮申し上げたいし、許されるものなら、ずっと白夜であってほしいと思います。

ブラックホールでもなかろうに、漆黒の闇が全てを飲み込んでしまうような気がしてなりません。

そういえば、もう十年ほど前になりましょうか、夜中に動悸が収まらなくなる奇病を患いまして、しばしば入院していました。病名が決まって「不安神経症」だったことを憶えています。

歳を取って、だいぶ落ち着いてきましたが、基本的な精神状態が往時と変わらないようで、今だに真っ暗闇のただ一人では寝られません。

若い頃にはラジオの深夜放送が、私を癒してくれました。

「オールナイト・ニッポン」は必ず聴いていましたし、午前三時からは「歌うヘッドライト」というダンプの運ちゃん用のプログラムを聴きました。

故郷のローカル局が、25時から27時までニッポン放送、27時から29時までTBSをネットしていたのです。

齢50代半ばにさしかかりましたが、睡眠時間が少なくても大丈夫なのは、きっと深夜放送に鍛えられたからでしょう。

良かったのか、悪かったのか、なんだか複雑な思いです。

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昔-夏講日記(その16)

懐かしく思い出される頃があります。業界人になった頃です。

何かにつけて議論していました。わけもわからずパワフルでした。怪しげな会議の召集令状に、喜々として応召していたものです。令状には、こう書かれていました。

「26時、○○○古墳に結集せよ」

今ではおよそ不可能なこととなりましたが、○○○古墳の石室石に乗っかって、怒髪天を衝き、口角泡を飛ばし、やたらアルコール濃度の高い会議でした。

勢い余って、巨石の隙間から石室に落下する輩もいました。落ちたまま動く気配がないので、心配になって見に行きますと、けっこう出血しているにもかかわらず、スヤスヤと寝ておりました。

巷には満月の夜に、女狐が踊る古墳だといわれています。女狐のうち何匹かは、似ても似つかない我々だったに違いありません(笑)。

翌朝解散、そのまま甘樫丘に登る面々がいました。

御破裂山から朝日が昇り、はるか葛城・金剛を照らすスペクタクル、世界を我が物とする誤解が、ふつふつと醸成されたものです。

あれからウン十年、固くセコムされた○○○古墳や、マムシもセアカゴケグモも繁殖してしまった甘樫丘に、世の移ろいを感じざるをえません。

「時代が変わったんだ」と、無理にでも納得せざるを得ない己が、「人心だけは不変であってほしい」と、小さな願いをかけています。

まるで他人事のように、思わずほくそ笑んでしまうほど、とてつもなく滑稽であります。

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説-夏講日記(その15)

「分からない設問」や「できない設問」を、私たちは解説します。いつもどおり解説しながら、具体的には「解説ノート」にしたためながら、注意を払っていることがあります。どんなことでしょうか。

いわゆる「教師」の手引書には、こんなふうに書いてあります。

「生徒の理解度を、表情や視線から読み取りながら、テンポ良く解説しましょう。」

これは、至極あたりまえのハウツーです。できなければ「教える」資格がありません。学校でも塾でも、同じです。ご家庭でご父母に教わるときも同じです。

私がこの業界に入ったころ、先輩の先生に、こんなふうに教えられました。

「世界一の解説をしても、生徒が聞いてなければ無意味。だから、教えることとは、きっちり聞かせることだ!」

はい、そのとおりです。でも、それだけでしょうか?

「目の前で解いてあげます。隅から隅まで、私の解説を再現できるようになりなさい。」

「あなたが聞いて一番よく分かる説明が、他の誰にも一番よく分かるわけではありません。詰まるポイントは人それぞれ、それを突破して、初めて分かりますからね。」

「私はあなたの解説中、おそらく他の誰にも繰り返さない貴重な解説をします。全感覚を耳に集中して聞きなさい。」

私が近ごろ盛んに使う言葉たちです。

そういえば、「いつ、だれが説明しても高度にわかりやすい、ただ一つの解説を用意することが、塾の品質保証だ…」、そう言われた時代がありました。

もはやこの言葉、博物館の陳列棚に収納してしまいましょうか(笑)。

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