邪-冬講日記(19)

「じゃ」と読みます。「よこしまなこと」です。

古来人々は、「邪」を避けてきました。「僻邪」と申します。

吉備の墳丘墓に起源する直弧文は、僻邪するためにあったそうです。なにか「よこしま」なモノがやってきても、直弧文を見ると退散する…と。

土器や埴輪に刻まれた幾何学模様にも、ちゃんと意味があったのですね。

古墳の埋葬施設の一部が、真っ赤っ赤に塗られているのも、同じなんだとか。僻邪の朱といって、水銀朱なんだそうです。

外から「よこしま」なモノが入ってこないように、さらには、埋葬されたモノが「よこしま」化して迷い出ないように、そういった意味があったそうです。

『魏志倭人伝』に曰く、玄界灘を往来する倭船には「持衰」(「じさい」と読むそうです)が乗り、航海の「邪」を一身に背負い、食べず、飲まず、沐浴せず、航海が無事に終われば金銀財宝を与えられ、逆に失敗すれば、殺されたと言います。

何を考えているかと言いますと、憎しみとテロルが連鎖する現代において、古代人が「邪を避ける」と考えた知恵は、ずいぶん役に立つのではないかと思うのです。

やられたらやり返す前に、ほんのちょっと立ち止まり、我々当事者は「よこしま」に魂を奪われていないか。もしも奪われているのなら、少しだけ冷静になって、「邪」を払ってから喧嘩しても遅くないのじゃないか。そう考えるところにこそ、「僻邪」が成立して、無駄な血が流されることもなくなろうと、最近その思いを強くしています。

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爽-冬講日記(18)

あまり何事にも、こだわらなくなりました。明鏡止水の境地と言ったら、格好良すぎますでしょうか。

若い皆さんの方が、あれこれ悩み尽きないようです。特に「将来の不安」を聞くにつけ、胸中お察し申すことが多いです。

とは言うものの、所詮ほんの少し早めに人生を終える小生として、見果てぬ未来のことなど、語るべくもありません。

それにも拘らず、人生相談、しばしばであります。

小生、いつも申しております。至極まじめで、本気であります。

勉強?せんでええよ。

この豊かな国ニッポンに生まれたんやろ?なんなりと、食っていけるで。

多少不自由かもしれんけど、餓死すること、まあ、あれへん。

先生といっしょに、畑、やろやん。大根つくるんに、方程式、いらへん。

え?なんや、ええ生活したいって?

じゃあ、我慢して勉強しぃ。

勉強嫌いが我慢したぶん、世間様が評価してくれんねん。

先生は、好きなことしかしてこんかったから、我慢できるん、ホンマに偉いと思うわ。

志や、良し。言うたからには、実行せんかい!

一生懸命生きてんの、先生、応援したるからな。

なになに、わしのことか?何を一生懸命…やて?

はるか三、四世紀、この国にあったパラダイスを、先生は描きたい。

女王や大王が、人々のために祈り、人々は、女王や大王を尊び…。

君民、神となって共治し、平和と繁栄を享受したんじゃ。

老いたオッサンが、果てしない夢を見とる。

若いもんが、できんこと、あるかいな。

……。

(後略)

何度でも、くりかえし、語り続けたいと思っています。

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冬期講習のお申込はお早めに。

1215()より石川数学塾大阪の冬期講習が始まっています。

お陰さまを持ちまして、早々に満席の回も出てきています。

2学期の復習や新学期の予習、学校の課題や自分の目標に向けた学習など、冬休みは夏休みに比べますと確かに短いですが、日頃できていないことにチャレンジするにはもってこいの時期だと思います。

是非、お早目のお申込をお願いいたします。

石川数学塾大阪の冬期講習は通常授業と同じく、生徒一人ひとりの習熟度やスケジュールに合わせて、カリキュラムの内容や受講の日時・回数が決められるので何かと忙しい君にもピッタリです。

みなさんのご参加をお待ちしています

上本町本部教室 中土井

冬期講習のご案内

逢-冬講日記(17)

ほとんど誰にも会わないスポットで、バッタリと出くわしました。

一昨日の日曜日、山辺道をてくてくと。三輪から天理の逆コース、萱生に入りかけたところで、衾田陵に裏から登ります。

拝所を左手の尻目に、後円部周遊コース(勝手に名づけました)を選びます。湿地の谷を隔てて、右手に東殿塚古墳の後円部あたり、初老の男性に出会いました。

数年に一度しか人に会わない地点ですから、もしかして狐狸かな…?とか、モノノ怪…など、失礼千万な偏見タップリにあいさつをかましましたところ、男性は来訪目的を告げられました。

西殿塚古墳(衾田陵)には、邪馬台国の女王様が…、イヨでしたっけ、トヨでしたっけ、眠っていらっしゃると…。いやはや、ロマンですねぇ。懐かしさ倍増しまして、また来てしまいました…と。

はい、そうでうね。継体妃・手白香皇女(宮内庁治定)は、論外ですね。採りたてホヤホヤの壷片と埴輪片をお見せして、「4世紀前半でしょうね」と、ご説明申し上げました。

男性は、大きな大きな西殿塚を、もう一周して帰りますと、歩き出されました。

ポカポカ陽気の師走に、なかなか巡りあえない方に出会えた気分です。

ちなみに壷片や土器片ですが、雨が降った翌日など、墳丘から破片が流れ出してきています。宮内庁の「keep out」に入り込まなくても、けっこう拾えます。

と言いましても、あまりに地味すぎて、皆さん無関心なご様子。

小生佐紀路で拾った奈良時代のカワラケを、ある畝に、これ見よがしに飾ってあるのですが、誰も取って行かれません(笑)。

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時-冬講日記(16)

時計の針を逆回りさせることができたら…と、思うことがあります。

老人が尚古趣味に浸ると、どうにもジメジメしていけません。

「ああしたら良かった、こうしたら良かった」と、宿命を呪うことに没入してしまいます。

しかしながら、第二第三の道行きなるものが、仮にあったとしても、晩年にその道行を悔やまない保証もありません。

むしろ、「文句言い」は何度でも、ウジウジ言っていそうな気がします。

さて、そんな老境とは対照的に、スパッと唐竹割り…な野郎もいます。ロシア赤軍を組織し、ヴェイ・レーニンと共にロシア革命を成し遂げた、レオン・トロツキーであります。

「私は、自分の意識的生涯の43年間というもの革命家でありつづけたし、そのうちの42年間はマルクス主義の旗のもとで闘った。たとえはじめからやり直すことになったとしても、もちろん、私はあれこれの過ちを避けるように努めるだろうが、私の生涯の全般的な方向性は変わらないだろう。私は、プロレタリア革命家、マルクス主義者、弁証法論的唯物論者、したがってまた非和解的な無神論者として死ぬだろう。人類の共産主義的未来に対する私の信念は現在、青年のころに劣らず熱烈であり、その時よりも強固でさえある。」(『遺書』西島栄訳)

トロツキーは、亡命先で政敵・スターリンの刺客に襲撃され、瀕死の重傷を負い、それが原因になって死亡します。

上記『遺書』は、その人生を予見するかの如くに書かれたものです。

さりながら、トロツキー、全く曇りがないですね。こんなふうに割り切れたら、人はきっと幸せなのかもしれません。

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学園前教室・杉浦

冬講日記、書いてます!

こんにちは。学園前教室の杉浦です。

冬講日記、書いています。

先週一週間は、HPトップの窓に、サブジェクトが表示されませんでしたね。

学園前教室のページには、表示されていました。

地下に潜っていたようなものですね。

ブログに直接飛ぶ場合、以下のリンクからたどってみてください。

http://blog.livedoor.jp/ishikawasugakujuku/archives/cat_910297.html

先週の記事です。

学-冬講日記(10)
聴-冬講日記(11)
巡-冬講日記(12)
隔-冬講日記(13)
智-冬講日記(14)
忘-冬講日記(15)

石川数学塾大阪
学園前教室長・杉浦

忘-冬講日記(15)

なんぼなんぼ楽しかった思い出でも、人は忘れていきます。

忘れないようにするには、どうしたら良いのですか?と、しばしば聞かれます。先生、記憶力、良さそうですし…などと。

およそ人間であれば、忘却曲線というグラフの奴隷でありまして、時が経てば記憶が失われてゆくものです。個人差は、ほとんどありません。小生も例外ではありません。

しかしながら、一見「記憶力が良さそうな」人が、いつの時代にも一定程度存在しておりまして、この存在が謎を深め、問題を複雑にしているのも、また偽らざる事実でありましょう。

このような奇特な人々は、実はほんの少しのコツを身につけています。

「あかん、もうそろそろ忘却の彼方」といった刹那、人の記憶は一時的に、大量に鮮明に思い出されています。多くの人々は「奇妙なフラッシュバック」としか思っていませんが、まるでろうそくが消える直前の最後の炎…みたいな瞬間があるのです。

ここを見過ごさずに、この前後に合わせるかのように、もう一度覚える努力をかましますと、ほとんど覚えた直後のような新鮮な記憶が、リフレッシュされると知られているのです。

小生、忘却は日常生活を、つつがなく送るための知恵だと思うところが多く、なんでもかんでも何一つ忘れられない人は、過去にのみ拘泥された後ろ向き野郎に堕すると、そう思っている輩でもあります。

それにも拘らず、どうしても片隅に留めたい記憶を、意図的に取捨選択して、整理整頓できること、これを「忘れない」方法と評していただけるなら、それもまた役に立つことであろうと思えます。

大事なことは、忘却の宿命を呪ったり、嘆いたりすることではなく、それに抗う技を身につけ、利用することではないでしょうか。

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学園前教室・杉浦

【高の原教室】冬期講習情報

奈良・高の原教室の飯尾です。

当教室の冬期講習へのお問い合わせ、ご参加誠にありがとうございます。
本日現在の開催時間のご連絡をさせていただきます。
数学、算数、理科、物理、化学は全時間帯開催しています。

また、英語授業の開催日時は、
12/19(月)、24(土)、25(日)、27(火)、28(水)、29(木)、30(金)、
1/3(火)、4(水)、5(木)、6(金)、7(土)、8(日)、9(月)の午前の部10:00~12:30、
1/11(水)の夜の部18:30~21:00を予定しております。
(都合により変更となる場合もございます。)

まだまだ申し込み受け付けておりますので、是非ともご参加下さい。
もちろん期間の途中からでも申し込み可能です。

智-冬講日記(14)

はい、そろそろ、これで終了にします。講演会「国家誕生の地、桜井を語る~マキムクからイワレへ、大王の歩んだ道~」、最後の記事です。

講演&シンポジウムされた先生方に負けず劣らず、聴衆も名だたる猛者であったようです。

誰しも然るものですが、歳を取るとちょっとした人名や地名が浮かびづらくなります。

「え~と、塚口義信先生がおっしゃったように、桜井茶臼山古墳がオオビコ、メスリ山古墳が…、誰でしたっけ…、四道将軍の…」なんて、壇上でしどろもどろになられましても、客席そこら中から大きな声で、「タケヌナカワ!」「タケヌナカワ!」「ワケまで付けよか、タケヌナカワワケ!」と、何とも心強い聴衆であります。

とある考古学者先生にお話をお伺いいたしました際、こんなことをお聞きしました。

「ぼくたちの仕事は、在野に監視されていましてね、はい、常にですね」。

「掘るまでは良しとしても、エエカゲンな考察かましますと、松本清張さんなんて、ボロカスいわはって、そりゃ怖かったです」。

朝野、良き緊張関係とでも申しましょうか。熱心な関心層が広く拡がっていること、学問にとって大事なことでしょう。

小生も在野の末席にお加えいただきたいものです。

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隔-冬講日記(13)

申し訳ありません。講演会「国家誕生の地、桜井を語る~マキムクからイワレへ、大王の歩んだ道~」、引きずっております。

「よほど、おもしろかったんですね。良かったですね」と、喜んでもらえます。はい、そのとおり、強烈におもしろかったです。

どんな学問にも師弟関係はあろうかと思いますが、考古学の世界を見渡しますと、笑ってしまうくらいに深くて強いきずなを感じてしまいます。

畝傍山のふもとの考古学研究所が、関西大学考古学研究室系で、名伯楽でもいらっしゃったS先生流であり、平城宮跡内の文化財研究所が、京都大学考古学研究室系で、三角縁神獣鏡と王権の考察をはじめられたK先生とか、堅調な学問業績とは裏腹に、何かと人間関係に波風を立てられたU先生流であると、小生のような浅学非才の輩もなんとなく心得ているわけです。

今回の講演でも「S先生の子分」を自称される老師が、「S先生の授業をさぼって、U先生の現場を見に行ったら、ムチャクチャ叱られた」などとボヤかれるにつけ、会場に失笑が漏れていましたのも、なんともアジのある瞬間でした。

ただし、そうは言うものの、古い世代の遺恨とか怨念とか、そういうオドロオドロしいものは、できるだけ見て見ぬふりをして、学問の本分に立ち返ろうとする若い世代の本音も見え隠れします。

「ヤマト国は近畿にあって、国王は帥升だったのか。帥升は近畿にいたのか?」などと、ネチネチと攻撃をかます老師を尻目に、「歴博の炭素14年代法は、全然ダメ。庄内式開始時期を上げ過ぎ、弥生Ⅴ式はこんなに狭くない。聖俗二元論は焼き直し、執政王が将軍であってはならない理由がない」と、ザクザク切り刻まれた寺澤薫先生の言説が、「では、ここからは和気あいあいと…(笑)」を本音とするものであると読み解けば、これまたアジのある一言と存じました。

小生、個人的には、学問の背後にドロドロした人間関係があっても、悪くないどころか、かえって面白いと達観しているほうですが、時代を世代が変えていく、そんなものも強く感じざるをえません。

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